人間であるかぎり、考えが違うのは、あたりまえです。

自分と他の考えの違い、やり方の違いで、そのために、仲良くできないというのは、考えを、肯<定>したり、否<定>したり、するからで、人間基準ではないでしょうか。
まだ、まだ、人間から人になる、過程に過ぎません。
自然基準から観れば、「あーそう」でしょうか。

会を創るにしても、まだまだ、自然基準に完全に立っているわけではなく、その過程の人間であることをお互いに認め合う上での、集まりであれば、考えややり方の異なりを受け入れることが前提になります。
その上で、会である限り、目的なり、目標を絞って。目指す方向を一つにして、でも、その過程は、どの登山道でもいいとして、たとえば、「たんじゅん山」登りを楽しむ会をやるのか、

それとも、自然基準に完全に立ったものだけを限定して、会を創り、もしかすると、その場合は、創るのではなく、出来るのかもしれないが、たとえば、それを「たんじゅん会」と呼ぶなれば、それは、山登りを楽しむ会とは、まったく別の会になるでしょう。

会の基盤がどちらかを、あいまいにしたまま、あるいは、会の目的、目標をあいまいにしたままの、会は、作ったとしても、あいまいになり、混乱するのは、自然基準から観れば、大成功でしょう。

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人間基準の世界は、何千年と続いてきたのです。

確かに、今、その転換期ではありましょうが、そうかといって、頭がそんなに急速に転換するモノと思いこむことこそ、人間基準。

さて、どうなるか、どれほどかかるか、大実験。

宇宙の世界は、オリンピックではありません。

あるがまま、受け入れながら、他を急がすのではなく、自らを、甘やかすでもなく、自然、天然の気を感じながら、やらせてもらいましょう。

トキあたかも、ハルです。すべてを受け入れ、楽しむことです。

ありがとうございます。

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