2015年10月24日に新潟・上越会場で行いました「心=”光”」交流会の動画をアップしました。
新潟・上越 古川 道男

●10/24 炭素循環農法新潟交流会上越会場(心=”光”)の動画/

素循環農法新潟交流会上越会場(心=”光”)

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https://www.youtube.com/watch?v=YJS8graAttg炭素循環農法新潟交流会上越会場(心=”光”)

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https://www.youtube.com/watch?v=j5Ocv6iL1EU炭素循環農法新潟交流会上越会場(心=”光”)

「心=”光”」の会で、でた疑問についてのもどきさんの補足説明

出された疑問
> 渡辺先生は、まず「やるべきことの一番は調和法の実施です。」と言っていましたが、
> 林さんは「たんじゅん農法をやる人は、調和法をしなくてもよい。」と言っていることについて

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 最も気を付けなければならないことは、自然農法の二の舞。
 違いではなく、5426の何処を話しているかです。渡辺先生は「6できる」。私は「2誰が」です。 渡辺先生は「私の・・・」と言ったことは一度もありません(記憶にありません)が、先生の言葉(手紙)ただ一つを頼りにやっています。 数通の手紙(著作権について)のやり取りの中に、なんの脈絡もなく書かれてあった、「常に“光”を見ながら考えなさい」これだけ。これが全てです。
 調和法を「5何処でも 4何時でも 2誰でも 6やる(できる)」でなければなりません。
 しかし現実は「5何処でも 2誰しもが 6やるわけではない(できない)」ということ。たとえ明日から“光”理論が世界中の小中学生の必須科目になったとしても、これは変わらないでしょう。
 –参考–
世界では、7,500万人の子どもたちが学校に通えない。7億7,600万人(5人に1人)の成人が「読み・書き・計算」ができない。勿論、識字率だけの問題ではありませんが。
 では何故?。「必要としていない(必要と思わない、できると思っていない)」からでしょう。渡辺先生は、これを考慮していません。
  私が先生に対してした質問はただ一つ、「問題があって“光”に集まる人と、問題がなくても“光”に集まる人の割合は?」というものです。この単純な質問に、先生は答えられませんでした(答えることができませんでした)。それまで問題がないのに“光”に集まる者など一人もいなかったからでしょう。また、「人は悩みをもっていて心の調和を望んでいる」という前提があったようです。
非識字者の多くが農業(自給自足的な)に関係していると思われます。彼らには理論(調和法)を振り回すより、応用実践の方が遙かに早道。勿論、理論あっての応用ですが。現実を見ずに何を言って(やっても)も始まりません。実践応用とは「活人戦争」以前に「全てを生かす」ということ。先ずは、微生物からです。・・・・・・・・・・・・・・・

 シュタイナーの調合剤と、「1年後の今日」の明るい未来をどうしても思えない者は・・・の、
++++
わが WAGA
矢の YA NO
蝶は TYO WA
白い石 SHIROI ISHI
硫酸バリュウム RYUSAN BARYUMU
嬉しや URESHIYA
素晴らし SUBARASHI
暁の AKATSUKI NO
ルリのファンタジー RURI NO FANTAJI
来年の今日 RAINEN NO KYO
++++おまじないは、理屈抜きに効果があれば良しとする。しかし、自然農法ではこれが逆効果、邪魔しています。「これに限り意味の説明は一切致しません。説明を求める方は“光”に縁がないと思って頂いて結構です。」ということになっているので内容(5426)については、これ以上の言及はしませんが・・・。

  これ(呪い)が解けなくて調和法云々では、自然農法と同じ轍を踏みかねません。もっと危ないのは「光文」。理論の全てが理解できて始めて読める(解る)モノ。先生の気持ちは分からないでもありませんが「ノアの箱船」同様、「厄介なモノ」を残してくれたものです。多分「自分で何とかしろ」ということでしょうね?。

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 そこで、最も大事なことは何でしょうか。

最重要課題が出てきます。

 渡辺先生から直接“光”を学ばれた方からすれば、私の話は違和感がある筈です。敢えて、そのようにしていますから。
何故?。
 理由は426。先生(人)が基準ではない。あくまでも“光”が基準。先生が「どう言った」「こう言った」では、自然農法の二の舞。似て非なるもの(似非)になってしまいます。
既に多く(殆どの者)がなっていると思っています。これは「たんじゅん」も同様。応用・実践で結果を出すしかないと考えていますが、地動説への転換は難しいですね。これが今迄も、これからも最重要課題でしょう。

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