たんじゅん農法に竹炭や籾殻クンタンなど入れても良いのでしょうか?

そうですね、こういうご質問は、よく 戴くのですが、
”たんじゅん”では、難しく、そして、とても、簡単な答えがあります。
そのまえに、「たんじゅん農法」とは、なになのか、が、問題になりますね。
一言でいえば、通常の農法が、人間が決めた農法なのに対して、
そうではない、農法を、”たんじゅん”農法、あるいは、たんじゅん農と呼んでいます。
では、人間が決めないで、どうするのか、
それは、「仮説実験」で、やっていく農と言ったらいいのでしょうか。
人間は、ホントのことを、知っていない。
たとえば、燻炭を 使うと、いいか、わるいか。
人間に聞いても、ホントのことは、知るはずがない。
それが、科学の基本、理学の構えです。
では、人間以外に、その答えを知っている者がいるのか、
いる。
それを”神”とするのが、宗教です。
でも、それを、”神”と逃げないで、
自然、天然が、知っている、
というか、自然、天然が、仕組み・働きを、すべてのトキ・トコロの裏でやっている。
とするのが、科学や理学です。
でも、畑も、作物も、天も、地も、自然も,天然も、
そのトキ・トコロの裏で、やっている、仕組み・働きを、言葉や、文字にして、くれません。
ということは、ホントのことは、わからない。
やはり、
”神”に逃げる、頼るしかないのか。
いえいえ、だからこそ、そこに逃げないで、
人間・人だけが持つ、<言葉>、<文字>を使って、正面から、突き進んで、それを楽しむ。
それが、人間・人の、自然・天然と違うところ。
具体的には、科学や理学の出番、それが、宇宙での、人間や人の役割。
人間・人は、真理はわかないけど、「仮説」なら立てられる。
いえ、仮説しか、立てられない。
仮説を立て、実験で、自然・天然から、答えを出してもらう。
仮説・実験の前に、自然・天然への、問い、疑問が、先。
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それも、人間が言っている限り、仮説です。
ホントか、どうか、「仮説・実験」で確かめるしない。
いつでも、どこでも、その立場で、ものごとを見るのを、自然基準と言っています。
それに対して
誰か人間のいうことを、ホントとするのを、人間基準と言っています。
その立場からすると、神の言うことを、ホントとするのも、人間基準と言えます。
そういう考えから、人間を先生にしないで、
自然・天然を、先生にする、農のことを、たんじゅん農としています。
となると、人間でも、自然に近い型ほど、先生。子どもが先生、新人が先生。
旧人に、答えを聴くとは、人間基準で、”たんじゅん”ではありません。
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ただ、旧人は、いろいろな、経験・知識は持っていますので、
「仮説・実験」生活の、仮説を立てる選択肢の一つに、役立つかもしれません。
ただし、あくまでも、選択信の一つで、正しいとしないでください
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前置きが長くなりました。以上の前提で、選択肢のネタに、旧人のひとつの考えを書いてみます。
【たんじゅん農法に竹炭や籾殻クンタンなど入れても良いのでしょうか? 】
 「良い』を、自然基準で、考えれば、いろいろです。
 微生物にとって、良いか、どうか。どう良いか。
 微生物が、住みやすくなる。微生物の住み家を増やすという役割があるのでは。
 微 炭にしないで、炭にする前の、木材や、モミの状態の方が、エサになるのでは。
 ほどほどが、どの程度か、わかりませんが。
生物のエサになるか、どうか、となれば、別で、
 野菜にとって、良いか、どうか、
 微生物が活発になれば、とくに、いろんな種類の微生物が増えれば、良いかも。
あくまでも、仮説ですから、実験でお確かめくださいませ。
井中 門

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