仮説1 上と下でひとつ…無肥料で植物が育つわけ
森のように、畑と違って、肥料が与えられないところで、なぜ、植物が育つのか、その研究が進んでいる。
貧栄養下で、植物が育つ仕組み。それは、根部エンドファイトと呼ばれる、菌類が大事な役をしていることが、最近分かってきている。
根部エンドファイト、それは、菌根菌ともいわれている。植物の根に張り付いて、根の中に入り、さらに、細胞の中にまで入りこんでいて、作物の根と、菌類は、共生関係にある。
写真左 茶色が根、白色が菌根菌が付着した根。 写真中 根に菌根菌の菌糸が付着している 写真右 根の細胞の中まで、菌根菌の菌糸が伸びて広がっている
しかも、その菌根菌は、植物の根の数倍も、数十倍も、菌糸を土中に伸ばし、張り巡らしていることが、写真で撮影されている。これは、貧栄養環境でのみ、張り巡らされる。
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写真左 キノコ菌と植物の根の関係 写真右 松の実の幼生 茶色の3本が松の根。後の白い糸状のものは、菌類(菌根菌)
菌類は、菌糸を伸ばして、遠くからミネラルや水分などを遠くから運んできて、作物に渡す。作物は、光合成による糖分を菌類に与えている。糖分は、菌類にとっては、生きるエネルギー源だ。
したがって、作物も、菌類も、どちらも、相手がなくては生きられない相互依存の関係にある。
ところが、肥料があると、違ってくる。
肥料とは、水に溶けて、作物がすぐに吸収できるもの。
それがあると、多様な微生物層の中で、最下層のバクテリアのみに養分供給が行われる環境になるために、バクテリアのみが活性化する。
その環境では、上層の微生物は、次第にそれより下層の微生物のエサになっていく。
結果的に、肥料のある環境では、最上層の「菌類」は消える。
植物の根は、菌根菌が消え、丸裸になる。しかし、そこには、水に溶けてすぐ吸収できる「肥料」がたくさんあるので、それを吸って、植物は生きていくことになる。
しかし、そのことは、植物にとっては、本来の好ましい環境ではなくて、窒素の多い、富栄養化の、腐敗型の環境になる。
それは、人間が基準になっているからである。
「人間が、野菜を育てる」という基準のもとに、野菜が育ちやすい〈肥料〉を与えることが、原因である。
また、その場合は、土中を流れる水がないと、野菜は育たない。流れるぐらいの水が必要である。
その水は、雨か、または、人為的に、水やりをするか。
雨が降らなければ、流れるぐらいの水は、人為的にやるしかない。
ところが、自然を基準にみると、どうなるか。
植物にとっての本来の環境は、生物が進化してきた過程が示すように、その日の養分は、その日に微生物が供給してくれる、その日暮らしの環境である。
研究によれば、植物と菌類との(その日暮らしの)共生関係は、植物(と菌類)が誕生した四億年前に出来上がり、今も続いているものだとしている。
野菜は、山の木と同じ。自然を基準から観れば、
「人間が野菜を育てている」のは、思い上がり。
「多様な微生物に植物(野菜・木)は育てられている」。
だから、人間のすることは、その環境を用意すること。
それには、多様な微生物が住みやすい環境を用意し、それにエサをやり続けること。
その多様な微生物の中でも、一番高度な微生物の住みやすい環境とエサを用意し続ければ、後は、自動的に、多様な微生物が繁殖し、その地と、その時に、みあった、生物の循環が、もたらされる。
しかし、それは、まだ、人間の側からの観方、人間という自己を基準にしている。
共生関係は、単に、植物と菌類だけではなく、植物と、菌類を含む多様な微生物層との共生関係とみるのが、自然を基準にした観方であろう。
多様な微生物と作物の総合的な共生環境を整えられると、その結果として、団粒化を進み、発酵型の土にかわり、
その結果として、作物が元気に、おいしく、たくさん育つ。
無農薬で育つとか、虫や病気がなくなるとか、それは結果で目的ではないのはいうまでもない。
その際、共生関係を創る主役、糸状菌のエサをやることが、まず大事なことはだれでもわかる。
しかし、それだけでは、肥料栽培に慣れた「人間」基準だと、水やりをしてしまう。
流れるぐらいの水が、無肥料栽培でも、やられている場合が多い。
だがしかし、共生関係を作ると、流れるぐらいの水は、微生物をおぼれさせてしまう。
それでは、酸素が供給されないので、水は微生物にとって、大きなマイナスの働きをする。
無肥料の場合には、植物への養分供給は、水に溶かした肥料ではなく、
生きた養分、多様な微生物群が、供給してくれているだろう。
(現代の生物学、医学では、認められていないが)
その場合は、流れるぐらいの水はいらない。微生物が増えるに必要な、「水分」(湿気)だけでいい。
だから、ハウス栽培の方が、水やりを控えるほど、(水分計・テンシオメーターが非常に危険と示すほどの、水分濃度で)普通の農法では考えられないわずかの水分量で、とてもみずみずしい野菜がどんどんできるほど、いい成績をあげつつある。(2010年後半の、遠藤弘さんのピーマン・・・たんじゅんさん第2報参照)
あくまでも、人間すなわち自己の側に基準(小さな点からの視点)を置くのではなく、自然・天然の側に基準を置くこと(生活・仕事・働き)である。
その結果として、自然・天然のとてつもない大きな働き、仕組みを、人間の味方につけることになろう。
人間の思いが、自然の意思と一致したとき、自然は人間にすべてを与える。
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