* ブラジル報告 pdf版 (前の文字をクリックすると、読めます)
* ブラジル報告 ワード版 (前の文字をクリックすると、読めます)
* また、80cmサブソイラーの動画は Mafes農業機械
さらに、
* それの延長 <たんじゅん暮らし>
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読めない方は、下記を ( ただし、写真ぬき )
ブラジル報告 2015年3月19日~4月8日
第1報 パラグアイは全土不耕起で大豆できず 3月17日に日本を立って、ブラジルに18日夜。 林幸美さんと、9カ月ぶりに再会。お元気そう。 ところが、30時間の空調ですっかりカゼ。 そのあと、19日から、すぐ、隣の国、パラガイに移動、 3日間、二人の青年に案内していただいて、たんじゅん農の進行状況をみせていただいた。
1) 土壌流出を防ぐために、全国、大豆を不耕起栽培。20年間
真っ赤な大地がうねりながら広がる。そこに、やせて、4,50cmの高さの、小指の半分くらいの細さの大豆の木がボーと立っている。荒野ではない、ちゃんとした畑。大豆が主要穀物と言いながら、その出来は、初期の半分になりつつある。でも、根本的な解決策はないまま、肥料と農薬、除草剤は、年々経費を圧迫。出口が見えないという。 草は、ラウンドアップで枯らすが、それで枯れないスーパー雑草なるものが出てきている。 耕起すると、土壌が流れるというので、20年、全国不耕起を農協が推し進めてきた。土は、肥料を使い続けた結果、棒が2cmぐらいしか入らない。大豆は、根が浅く、2,3cmの所を横に這う。根粒菌も、茎と根の境にわずか。茎は、割りばしの一本の細さ。土を、20cm、40cm、60cm、と掘って、水を入れたところ、一日たっても、水は減らない。固い層が、肥料で出来上がってしまっている。80cm以上掘ると、ようやく、水が引くそうだ。
2) 無肥料でやる<バカ> 細々と実践
たんじゅん農を3年前に知った方が、何人か、実践しつつあった。誰にも、友達にも、肥料を切ったとは言っていないという。それほど、親にも、仲間にも、ひつこつ、バカ扱いをされるほど、居住地のつながりが濃いだけに、大変なのだと、知った。ムラ社会。案内してくださった、日本人移住地の後藤、山下の青年は、とても、感じの良い方だったが、居住地が息苦しくて、それから出て、家を建てているそう。どちらも、その点で共通。だからこそ、このパラガイを、よくしたい、ホントにしたいと、やっているのだろう。その二人が案内してくださった実践者は、数人だが、いずれも、成果を上げてきていた。
わずか、20ヘクタールの畑を、肥料を切り、しかも、その表面をトラクターで、浅くかいて、大豆などの残渣を土と和える、それだけのことで。ただ、肥料をやめただけで、収量が1.5倍、ヘクタール当たり、3トンから4トンに。茎が、小指くらいの太さに根元はなってきている。まだまだ収量はこれからで、土壌の硬盤を割らないと、確かなものにならないが、とにかく、肥料をやめる、そのことの変化は、頭の刺激になっているようだ。
これで、除草剤も要らない、農薬も要らないとなれば、・・・ でも、それには、もう少し、〈バカ〉が誰もが認める実績を上げていくために、数年必要だろう。
写真 大豆畑
3) 牛を小屋の中で飼える
大豆だけでなく、牛飼いも参考になった。 数百頭を小屋で牛を飼っているが、腐敗臭がないどころか、いい香りさえするそのポイントは、エネルギー循環。発酵とは、エネルギーが吸引されている状態
5 牧草畑(イネ科、カメルーン、一月で1m以上に。数回刈る)
・・・・・ 糞を間に籾殻と撒く。最初は、サブソイラーで空気入れ。
4 人間の頭の発酵 (発酵環境を牛に用意。牛のエサに、牧草だけ)
2 牛の胃の中 発酵の微生物層
6 牛の糞、糞は総決算。糞がよければ、肉も、乳もいい。
4) 人間社会の肥料は、余り金
日本からの援助が、移住地の腐敗を作っている。余分な金が腐敗を育てる。 余分な金は、肥料と同じ。
(以下略)
5) 楽しい農と楽しい地球ぐらし(略)
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第2報 中村勉 農園 2年間 無投入で、収量は落ちず
・ 4年ぶりに、畑に再会
パラガイから、林さんと、ブラジルのサンパウロ州のスザーノに戻って、24日から3日間、中村勉さんの畑に通っている。
じつは、今回の旅の目的の一つは、この2,3年、林さんと合同で研究をしている「筑波大学の土壌学」のチームが、その連続調査の一貫として、中村さんの農場と、ロベルト迫さんの大型機械を活用した大規模サトウキビ農場を調査するので、それを見学させていただくこと。
日本から遅れて23日に着いた若い、大学院博士課程の中塚博子さん。それに、実験助手の修士課程の島田紘明さん。来て翌日から、早速中村さんの畑に行って、作業を始めた。一日かけて、穴を1mの深さ掘って、綿密に、土壌の表層から、順にどう変化しているかを、なめるように土を手で取り、目で見分けていく。一日で、一か所。二日で、中村農園を2か所。 (その研究調査については、べつに、まとめてみたい。)
その合間に、4年前、初めて訪れた時の感慨を足と空気で確かめながら、ぶらぶら勝手に中村農園を歩き回る。 夫婦二人だけと言ってもいい人手で、整然と、しかも、光り輝いていた野菜たちが育っていた。・・・・・を脳に思い出しながら・・・・。
でも、その時のあの全体に満ちていた光が、今は、弱い。初めは、余りに、期待しているものがあった幻想からか、それとも、何か、ほかに・・・・。と模索しながら。
4年前と違うのは、一つは、時期の違い。4年前は、8月。冬から春。今は、3月。夏から秋へ。
キャベツなどは、根こぶ線虫に、一部やられていた。
・ 炭素資材無投入2年の畑も高収量
中村さんは、この2年は、全く、廃菌床を入れないところと、今まで通り入れるところと、比較試験をしている。
結果は、2年、何も入れないでも、野菜は今まで通り育っている。
その二つの畑を、1m深さ掘って、土壌調査が行われ、その結果は、いずれ出るだろう。
ただ、その切った土の断面を観るだけで、大まかな検討がつく。
団粒化が、何も入れないでも進んでいて、表層30cmぐらいの、いわゆる腐葉土が半分くらいに減り、その下の、明るい有機物残差を含まない、土に変わってきている。しかも、もっと大事なことだが、それが、しっかりした「団粒構造」を持っている。そのことについては、別に説明するが、団粒構造を割ってみると、その中に、色の異なるより小さな団粒がまだらにあり、階層構造の団粒化になっている。(これが、中塚さんの研究の大きな発見)
わずか、2年の間に、何も入れないでも、団粒化構造はどんどん進んでいることがわかった。まさに、微生物の力、菌類の力である。中村農園の野菜は、それで支えられている。
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第2報 古賀マリナ農園 70歳で 農業 辞めるの辞めた
そして、26日。三日目は、おまけというか、比較のために、中村さんの隣の古賀さんの農園を調査させてもらった。
写真 古賀農園
そのオマケの方が、実は、今回のトピックだと、行ってみて、後でわかった。
・ 40年頑張ってきて、農業辞めるつもりだったのが
古賀さんは、60年前に、この地に初期に入植し、奥さんのマリナさんは、40年前に、結婚して、ここで農をはじめる。 始めは、馬で耕したり、苦労して、数年前、主人が病に伏せ、もう苦労して農業をすることはない。辞めようと考えていた。 そんなとき、中村さんから、林さんと出会い、肥料を使わない農のやり方の話を聴く。それが3年前。 その時は、ピンと来なくて、あまり興味もなく、でも、ちょっとやってみるかと、今までの化学肥料を減らして、穴に入れ、その代わり、廃菌床を少し混ぜてみた。
その結果、トウモロコシとブロッコリーが、ほとんど虫も食われなくなり、よく育つ。土がフカフカに変わった。
ロベルト迫さんの会社、マフェスが作った土壌硬度計を使ってみると、棒が、簡単に150cm入る。すぐそばの空き地は、20cmも入らない。林さんも、筑波大の中塚さんも、3年前の土の状態を見ているので、そのあまりの変化に驚いている。
・ 肥料を減らしたら、笑顔が絶えない暮らしに
マリナさんは、70歳。農を辞めるどころではない。 毎日、畑が楽しくて、どんどん畑を広げたくなった。今、2ヘクタール。一人、近くの方を草取りにお願いしているだけ。その方も、草ひきが楽しいらしく、早め早めに手を打ってくれる。まだまだ、ブロッコリーは、ムラがあり、弱いものは虫が食うが、元気なものは食わない。後は時間の問題。
数か月前に、畑を作って、植えたマンジョッカ(タピオカ)が、背丈3mの林になって、広がる。
8月が収穫時期という。試しに掘ってみると言って、マリナさん、3mの木をゆすって、根を引っこぬくと、なんと、40cmぐらいの根が5,6本出てきた。ホントに土が柔らかい。土のまま、かじってみると、ゴボウのように筋っぽいが、甘い。これが、8月には、子どもの足ぐらいに大きくなる。 帰って,てんぷらにしてもらったが、しっかりしたジャガイモに近い味で、これなら、主食になる。
もう引き合いが来ていて、これから、植えるところをもっともっと増やしたい。これなら、手はかからないし、儲かると。 それには、小型の40馬力ぐらいのヤンマーのトラクターを買いたいと。
「今が、一番楽しい」と、何度も、繰り返す。
町にも、楽しいから、よく出かける。 隣の黒木さんは、ひとり者。今、古賀さんのやり方をボチボチ学び始めている。
次からは、もう、肥料を入れないでも、やれる。でも、初期の途中段階は、農家の場合、肥料を少し入れる。それもありなんだと、納得。これだと、だれでも、無理なく、転換できそう。要は、未来側に立っているかどうかであろうか。
5; 土がフカフカによくなり、
4; 働いている方が楽しくなり、
2; その生産物が引っ張りだこ
6: 結果的に、儲かる
エネルギーのいい循環が、ここには、起き始めている。5→4→2→6→5・・・・・
光とともに。
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第4報 自然基準の農機具 ロベルト迫さん
もう来てから、2週間。
毎日のように、「このために、来たのか」「これに出会えば、もう帰ってもいい」なんと思いながら、
毎日、毎日、新たな出会い。精一杯の、天から用意されたとしか思えない、おもてなし。
・ 最後の最後、大事にしたものは
ブラジルの広大なサトウキビ畑。その収量を、一気に、1ヘクタール当たり、70トン平均から、240トンに、1,2年で替えたという話を聴いて、その現場を見てみたいというのが、今回のブラジル行の、もう一つの目的。
そのチャンスが、3月30日に用意された。あの「80cm」の船の錨のような爪、それは、まるで、ブラジルの恋人に逢うようなワクワクした気持ちの高まりを、感じながら。
だが、それは、「80cmの爪」との、ツメたい、機械との出会い。といったものではなかった。
結論をいうと、苦悩と絶望、行き詰まりの中で、一人の男が、孤独を登り詰めて、
一人ぼっちになりながら、それでも、自分よりも、会社よりも、最後の最後、大事なものはと、選択を迫られたとき、すべてを手放し、逃げていくものが去った時、 自分の意思と無関係に残ったもの、それは、「夢」だった。
奥さんにも、もう何もない、何もできない。帰っていいから、出て行っていいと、言った。
奥さんよりも大事にしたのは、「夢」だった。
困難に出会い、道がわからなかったとき、あきらめず、いつも大事にしたもの。
それは、<なんでだろう>と常に、自分に問うてみることだった。
問うてもわからないが、そこを逃げることができない、自分がいた。
うまく行かないほど、<なんでだろう>と。
それが、ジャガイモの連作障害だったり、サトウキビの虫や病気、減収だったり。
土の固さと作物の根の生長だったり、
作物や気候、土質のせいにしたりではなく、
なんで、そうなるのか、そのわけが、必ずある。
そのわけを、土に問い、作物に問い、自分に問い続けた。
・ 不幸の人生の連続を活かす
でも、それまでの道のりは、ひどいものだった。
いつもいつも、なんでこんなにひどい目に合わなければ、ならないんだと、罵り続けた。
おじいさんは、日本から移住して、まもなく亡くなり、お父さんも、若くして亡くなり。
ロベルト迫さんの人生は、うまくいかないことの連続だった。
仕方なく、中学校も満足に行かずに、農業の後を継ぐことになった。
と言っても、農業では食っていけない。だが、農業しか、やれることはない。
食うや食わずの中で、なんとか、智恵を働かせて、必死でやった。
そんな中で、うまく行かないせいを、周りに当たり散らし、
それでも解決できないで、土に、作物に、なんでか、なんでかと、問い続けた。
転機が訪れたのは、立正佼成会の竹内さんという方が開いている、毎週泊りがけの会に参加してからのこと。
その方は、日本のその会からブラジルに派遣された方。日本から派遣される際、「ブラジルはキリスト教の国だから、キリスト教徒が多い。あなたがやることは、キリストの教えの基に、その方が本当にやりたいことができるように、お世話すること」だと言われて、来たという。
その方から、徹底して、何事も、すべて、「自分が原因」と教えられた。しかし、過去の例を出しながら、どんなに考えても、自分が引き起こしたとは、承服できず、「クソババア」と思いながら、反発をし続けたという。
しかし、そのうち、新たな障害や、課題、行き詰まりに出会うたびに、「なんでか、なんでやー」と自分に問い続けていくうちに、フッと、その問いの答えが、出てくるようになった。
それは、自分が出した答えではない、自分の外から答えがやってきたような感じ。その感じをつかんでから、益々、すべての問題を、自分の奥に問うという、ことをやり続けるようになった。
・ 問い続けると、向こうから答えがやってくる
問い続ければ、最後の最後、その向こうから、答えが下りてくる。
とことん、問い詰めると、必ず、答えがもらえる。
「それは、自分の力ではない、それは、はっきり言える」と、迫さん。
そういう体験を、いつの間にか、し続けて、道が開けてきていた。
まずは、問うのは、自分。
その次は、土。
その次は、作物。
そして、人間。
最後に、それを総合的に生かしてくれる「機械」の設計。
機械、機械の設計は、最後の最後。
機械が生み出される現場、でも、これは、最後の最後の結果にすぎない。
その前に、うずたかく、
土、作物、人間、そして、自分に問い続ける疑問の大きな巨大な山があった。
機械は一番最後。土、作物、人間がわかって初めて、「機械」が設計できる。
機械に、自然が埋め込まれている。
迫さんの機械には、自然の法則が、埋め込まれている。
Mafes という会社を、そのために、迫さんはつくっている。
でも、その会社は、自分の会社ではない。「みんなの会社」と言っている。
そのあと、迫さんの設計した機械が実働している農場を若いスタッフに案内してもらった。
・ 迫マシーンの現場を訪ねる
3000haという農場に行ったが、しかし、迫マシーンが実働している現場に出会わなかった。
3000ヘクタールのどこで、動いているか、探したら、捜索願を逆に出してもらわないと、元に、帰れないという。
なるほど、サトウキビ畑が延々t0、地平線まで広がっている。
そのサトウキビ畑に、筑波大の二人が調査をするというので入っていった。
その途中で、猛烈なスコールに出会い、道が、川になった。慌てて、引き返す。危うく、キビ畑で、遭難するところだった。
だがしかし、その2時間のスコールのあと、また、キビ畑に戻ってみて、驚いた。
道が道。畑が畑。元のままだった。道も、畑も、濡れてはいるが、どこにも、水は溜まってもいない。
雨水、それは、消えていた。あの濁流のような雨は、どこに行った?
地中しかない。一、二年で、団粒化が進み、5mも深く根が入るぐらいになっているというが、それを実感した。
それだけの土砂降りは、そのときだけ。まるで、それを実感させるために、降ったかのよう。
ありがとうございます。
機械の中に、自然を埋め込む、人間を埋め込む、作物のナリを埋め込む。
機械の中に、自然の法則を埋め込む。
その日々の連続が、生きていくこと。社会を平和にしていく道。
機械は、平和のためにのみある”>機械は、平和のためにのみある。
と、迫さんはつぶやく。
・ 地平線の荒野を迫マシーンが走る
まず、70cmぐらいまでにある硬盤層を破壊する。
ブラジルの場合、深さ80cm、大きな爪で、引っ掻いていく。
そうすれば、根は下に伸びていく。
それは、はじめの1回だけでいい。
そのあと、繊維分の多い、枯れたモノを、深さ40cmのところまでの土と和える。
これは、収穫ごとに、毎回、やる。
それだけで、サトウキビは、1ヘクタール当たり、平均70トンだったものが、240トンになってきた。
わずか、1,2年で。しかも、虫や病気のいない、サトウキビ。除草剤がいらない、畑に。
自然の仕組みを埋め込んだ機械、トラクターは、いま、50万ヘクタールの土地で、活躍をし始めているそうだ。
50万ヘクタールと言ってもピンと来ないが、福岡県、愛知県、千葉県などと同じくらいの面積。
おそらく、この一、二年か、少なくとも、数年で、数百万ヘクタールの土地に、自然の法則の息吹を吹き込んでいくことであろう。
一人の、機械屋さんが、自然基準に立つことで、・・・・・ 5→4→2→6 → 5 →4,2,6
6 みんなが儲かる
4 微生物と共生する作物 2 人間の力
5 自然、土、
平和は、身近なところから・・・・・・・
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第5報 未来側からの質問と対話 興梠(こおろぎ)さん
旅に出て、地球の反対側に来て、日本人であることを強く意識させられる。
南米で、日本人らしい、日本人に、日本語で、この地を案内され、
自然のなかで、イノチの積み立てられる仕組みを見せられるからだろう。
・またまた、稀有な旅
4月1日から3日にかけての空路と車で、それぞれ1時間半かけて着いたミーナス州のモンテカルメロの旅も、出会おうとしても、出会えない方、日本人に出会えた。宮崎から青年隊の測量技術者として20代に移住してきて、今、80歳の興梠(コオロギ)さん。
20年前から、農業に転職し、何も育たない土地の代表に例えられる、シェラードというph4.2の強酸性の土地に、入植。4軒の親族とともに、痩せた木を焼き払って、真っ平らな1000haの土地を用意した。そこに、200km離れた地から石灰を運んできて、土壌改良を重ね、4軒、それぞれで、土地を分割。興梠さんは、ゴムやアボガド200ha、そして、コーヒーの木100haを植えるまでになった、成功者の一人。長男たち家族と、何人かの現地人を雇って、一緒にやっている。
・ 荒野が延々と広がる中で
まず、興梠さんのアボガドの農園、200haに案内してもらった。北海道でも、観ることがない、地平線が左右前後に広がる農園。それが、すべてシェラード。標高800m前後の高原の気候。地形、気候が気に行って、入植したが、問題は、土質。元々、木も、ろくに生えていなかったところ。何を植えてもできなかった。現在も、道路の両側に広がる平原が、荒野と言っていいくらい、使われていない。ところどころ、牧場になっているが、牛はまばら。
ところが、アボガド農園に着くと、そこだけ一帯は、青々と緑が茂り、アボガドの森が広がっている。アボガドが、年中収穫できるように、5種の木が植えてある。両こぶしぐらいのアボガドの実がボコボコぶら下がっている。少しは、肥料や農薬を使っているが、「実」は艶があり、味も評判という。ただ、少し、実に虫が入ってくるそうだ。
アボガドの古い木は、植えて15年。1万本を100ha。よくできていて、儲かっている。ただ、2011,12年と、収量が全体で3300トンあったものが、2013,14年と続いて、雨が少なく、収穫は半分になった。幸い、値段がよくて、売り上げは、数千万円だったが、今後については、このまま続けていくのか、天候不順が続くのではないかと、興梠さんは、不安を抱いている。それに、近年、肥料代、農薬代がかさんできている。
・ たんじゅん棒がスッポリ入る
そこで、ブラジルに来て手に入れた、径が5mm長さ1.6mの「たんじゅん棒」を持ち出して来て、木の下の土に刺してみた。表面の10cmは、簡単に棒が入る。が、その下は固い。何度も、棒を突くが、カチン、カチンと、何かに当たり、跳ね返る。硬盤層だろう。肥料を15年使い続けていれば、それは無理もない。
ところが、興梠さんと林さんの話を聴きながら、たんじゅん棒をしつこく刺していると、上から20cmも入ると、棒がスイスイと、入り始めた。最後は、1.6mの棒が全部土に刺さってしまった。硬盤層は厚さ10cm程度ということだ。もっと長ければ、棒は、2m以上入っていくだろう。「えーー、どういうこと????」
じつは、そこで使った「たんじゅん棒」は、大型農業機械を開発しているロベルト迫さんが作った、土の固さを調べる道具「HATO」。4本の鉄棒をねじでつなぐと、1.6mの「たんじゅん棒」になる。その棒の先はとがり、反対側にはバネがついていて、バネの縮み方で、その土の固さがわかる。自然基準の迫さんらしい発明品。軽く、持ち運びに便利なように、袋入り。
その初試験を、問題のシェラードの地でやってみたら、むしろ、そこは、なかなか良い土地だとわかった。
興梠さんの息子さんが運転して、次に向かったのは100haのコーヒー園。2006年に42万本植えて、9年目。もうすぐ収穫時期。実がビッシリついている。大型機械で、木を上からまたぎながら、自動的に収穫していく。半径600mの散水機が、円弧をゆっくりと描きながら、全部に散水していく。この水代、電気代、それに、肥料、農薬代を合わせると、経費が大変なよう。
さっそく、たんじゅん棒を刺してみる。ここでも、表面10cmは柔らかく、その下、5cmぐらい、硬盤層がある。その下は、柔らかい。
・熱帯では肥料は1,2か月しか効かない
コーヒーは9年、アボガドは15年、肥料を使い、農薬を使い続けると、微生物層を貧弱にし、イノチの仕組・働きを邪魔しているはず。なのに、「たんじゅん棒」の結果は、そうではないと教えてくれている。実際に、アボガドもコーヒーも、出来はかなりいい。なぜか?
それは、熱帯だからではなかろうか。
国際農林水産業研究センター JIRCASの主任研究員の小田正人さんが、この数年、たんじゅん農に関心を持って、筑波大学の研究者と、ブラジルにも調査に来ている。その研究結果の一つが、2014年秋に発表されている。それは、初のたんじゅん農の学術論文といっていい。今回の筑波大学の調査も、その一貫ともいえる。
小田さんは、長年、熱帯の研究をしてきて、「肥料を撒いても、熱帯では、1,2か月で吸収されてしまって、そのあとは、無肥料で育っている」と結論している。
逆に考えれば、肥料を入れても、そんなに役に立っていない。雨が少なくなると、一層そうだ。でも、そう聞いても、なかなか、やめられない。生産者も、学者も、「肥料教」になっている。それは、ブラジルも変わらない。
それはなかなか理解されないことだが、それはそれとして、興梠さんの農場で、試験的に、肥料を止める地区をつくって、肥料を入れた地区と、収量がどう違うのか、比べてみるということになった。理論はよくわからないが、もし、それがうまく行けば、経営的にとても助かる、将来性が出てくるというのが、動機。
何しろ、息子なり、後継ぎが、希望を持てる農園にしていくには、現状ではダメだと、興梠さんは感じている。
・ オヤジがピラミッド型を支える
実は、シェラードという地は、ミネラルが溶脱した、不毛の代表とまで思われている土地。その地に住み着き、そこで生きようとして来た興梠さん。ところが、共に始めた4軒の親戚も、それぞれの考えの違い、生活の違いで、結局、農園を、4分割し、売り払い、今では、興梠さんの所だけが残り、農業を続けている。
なぜ、興梠さんの所だけが続いているのか、そのわけはなんだろう。一つは、興梠さんが、頑固オヤジをしっかりやっているということではなかろうか。
とても優しい目の興梠さん。今回、食事の際は、家族、親族に声をかけて、店でも、お宅でも、一緒だった。興梠さん以外は、日本語はあまりわからないようで、興梠さんと林さんの会話は、おそらく、ほとんど通じていない。それでも、4回の食事には、奥さんだけでなく、息子や、大学生の孫(次男の子、いわゆる外孫)が一緒だった。
息子とも、孫とも、最後まで話はしなかったが、でも、食を共にするだけで、イノチが通い合う気がする。
訳も分からない話の中で、30分も1時間も、子どもや、孫が、一緒。それも、嫌々付き合っているようにも見えない。そんな風景は、現代社会では、異常かもしれない。それが、この家は、お客さんが来ると、それが当たり前という。そうさせているものは、何か。
それは、興梠さんの、柔和な顔の奥にある、頑固さだと思った。それが、家族の絆を支え、開拓者としての厳しい壁を乗り越えさせてきた。その頑固さは、みんなのことを想える、長い目でみんなのことを願える。どれだけ、人間基準でなく、自然基準で、全体を観れるか、そんなゆるぎない頑固さ。ピラミッド構造の頂点に立っている頑固さと感じた。
考えてみれば、林幸美さんも、そういう方だ。家の中で、子どもたちに、「ウチの公用語は日本語」と通してきたそうで、いまだに、林さん自身は外でもポルトガル語を使おうとしていない。また、林さんがやっている、「キノコ」会社はみんなのものと考えていて、自分の息子は経営には向いていないとして、本人の希望もあり、研究職をしていて、社長は、別の日本人がしている。自然基準、未来基準の会社経営だ。
さらにいえば、Mafesのロベルト迫さん、それに、次に報告する、バナナ王の山田勇次さんも、同じだ。
頑固オヤジの特徴は、1)明日の目標に向かって、ひとりポッチになることを怖がらない。2)未来側に、みんながよくなる目標、夢を決めて、それに進む。3)うまく行かないなら、もっといい未来側の目標に替えて、進むところかな?
現代の人間基準から見れば、ピラミッド構造というと、封建的とか、権力構造とされるかもしれないが、自然基準から観れば、ピラミッド構造は当たり前の姿であり、5,4,2,6の対等な循環構造のなかで、全体観に立った方向性を示すことは、オヤジの役目である。
むしろ、その役を放棄した「パパ」が、方向性を見失った若者を増やすことになっているのかもしれない。
社会全体としても、オヤジを必要としている。
自然と、質問と対話ができる。そんなオヤジが。
一人ぼっちになっても、自然基準で生き続ける、頑固オヤジが。
そんなことを、ブラジルに来て、強く想った。
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第6報 二つで一つ 4月8日 山田 勇次さん
・ 夢を取り戻すカガミ役
日本の真反対に来て、いろいろと、反対側からみさせてもらった。
紙に表と裏で一つであるように、地球も、日本も、人間も、二つで一つではなかろうか。
見えないイノチだって、エネルギーだって、二つで一つ。
二つで一つが、真の姿でありながら、科学も、見えるものだけに対象を限り、見えないものを切り捨てた。
農業も、医学も、そして、…も、イノチなくして、有り得ないのに、イノチをいつの間にか、モノだけの科学に牛耳られていることに、気づかなくなってしまった。
夢や、希望に満ち満ちて、未来側から声をかけられて、見知らぬ地に開拓に入った方たちも、いつの間にか、経験と知識を積むうちに、過去の側からに引きずられ、モノに縛られ、イノチやエネルギーの世界に、心を閉ざしていることを気づかない。それでは、夢もはかなく消える。
夢が消える、未来が見えない原因は、もしかすると、相手や社会にあるのではなく、自分自身の奥にあるのではなかろうか。でも、自分だけでは、それに気づかない。自分の穴にはまっているのだから。
その本来の心、夢を取り戻し、イノチの息吹を吹き込んでくれるのは、カガミではないか。
カガミ、鏡とは、自然基準に立った、質問と対話。人間基準に陥り、「二つで一つ」でモノが観えなくなったときに、用意される計らいのことであろう。
そのカガミの役をする者、自然基準の質問と対話の役を知ってか、知らずか、3週間の南米訪問の最後の日程に、バナナ王と呼ばれている方を、二名で訪ねた。
・ 金儲けでやるのではない
山田勇次さんは、日本人移住者の中でも成功者の一人。前回、4年前に訪れた際、たんじゅん農を知っているかのごとく、バナナを大規模に栽培している、その直観力と行動力に驚いた。バナナが大きな実をつけると、その木を倒し、実を取ったあと、新芽を一本だけ残して、親木を切り刻んで、地面にばらまき、それを養分にして、新たな芽を伸ばしていく。そのことで、経費と手間を省き、収量を上げた。あちこちに、バナナ園を大規模に展開し、販売網も、家族らと作って、稲盛賞を受賞するまでになった。売り上げが、今、300億円という。
山田さんは、2年前、やりたいことがあって、ジャナウーバという7万人の市長に立候補し、当選。いま、任期4年の3年目に入る忙しい身。その目的は、夢を実現するため。大抵の政治家は、金儲けのために、なるらしいが、山田さんは、バナナも、市長も、夢のために。その夢はなにか?
林さんと一緒に、飛行機を乗り継ぎ、さらに、車で1時間半乗って、ジャナウーバという街を訪ねた。遠かったが、それでも、ブラジルの地図でみれば、東端のサンパウロ州から、やはり、東端にあるミーナ州のほんの片隅の街に向かった過ぎなかった。ブラジルは広く、そして、ブラジルの夢は大きかった。
空港をはずれると、原野がどこまでも続くのには、あきれた。鉄道が発達していない国だから、主要道路はトラックが走ってにぎやかだが、人影は、めったにない。牛をたまに見る程度。その牛が食べる草が枯れかけている。砂漠ではない。しかし、その草でさえ、息絶え絶え。ポツンポツンと、灌木がまばらに立って、それが、水平線の向こうまで、続いている。
・ 市長やっておれない
4年ぶりに会った山田さんは、元気だった。しかし、この荒野のことでは、市の問題以上に、頭を痛めていた。というのは、この1,2年、天候不順で、雨量が例年の半分。そのために、牧草でさえ、枯れかけ、また、バナナ園も、灌漑設備の水の使用の制限を受けていた。荒野は、どんどん増えていく。
山田さんは、元々、ブラジルの荒野を農地にしていく夢をもって、入植してきた。誰もやっていないことをやりたくて、ジャナウーバに、だれも植えていなかったバナナプラタという種を大規模に10数年前に植えた。それが当たって、バナナ王とまで言われるように、成功してきた。それは、でも、まだまだ、彼の夢の第一歩。市長になったのも、金儲けのためになったのではないという。金ならある。
だがしかし、その夢は、彼の中にはっきりありながら、漠然とし、天候不順などの外的要因で、夢の先が見えなくなって来て、迷路に入っていた。そこに、思いがけず、向こうから、2泊3日の二人の客が現れた。
天から観れば、すべて偶然はない。いえ、正確な意味の偶然(「遇」;であう、「然」;しかり)、出会って然り、ばかりである。
彼の夢は何かのか、二人のカガミは、自然基準の質問と対話を、延々と、朝7時過ぎから、夜10時まで、お宅で、丸いテーブルを囲みながら、あるいは、枯草の荒れ地や、広大なバナナ園を先生にしながら、続けた。市長職は大丈夫かなと面ほど、一日目の5時から、三日目の朝9時まで、ずっと、一緒だった。
その結果、山田さんは、この2泊3日の訪問、の最後に、自分の今後のために、わざわざ、お二人が来てくださったのですね。やっていくことがはっきりしました。あと2年間はやりますが、その後は、市長を退き、本職をやっていきます」と言った。やること、未来側が、具体的にはっきりしたようだ。
・ 日照りで枯れかけた畑が先生
市長職を止めても、やりたいこと。それをはっきりさせたのは、何だったのか。どういう質問と対話だったのか。
その重要なカギが、雨がなく、枯れかけた「ソルゴー」畑の謎だった。
着いた最初に日の夕方、山田さんは、日の暮れる前に「ぜひ、これを見てほしい。このわけを知りたい」と、わざわざ、ある枯れかけた農場に、待っていたように案内してくれた。
そこは広い農場。ソルゴーが、元気もなく、水不足で、元気もなく、枯れながら、見渡す限り一面に並んでようやく立っていた。2年前に、ソルゴーを植え、それを2年前、収穫して、サイレージにした。それから、1年間、雨が少なく、次のソルゴーの芽が伸びず、腰の高さぐらいで枯れかけている。
ところが、ところが、あるところ、ホンの数十m²のソルゴーだけが、枯れるどころか、緑濃く、生き生きと育ち、背も、2mぐらいに育って、群れている。何しろ、周りが、どこもここも、枯れかけているのだから、その一角の元気さが、夕日に映えて、余計目についた。
じつは、そこは、2年前、ソルゴーを刈って、しばらく積んで置いたところ。ちょうど、その積んで置いたところが、そこだけが、元気に、また、ソルゴーが育っている。他は、枯れかけているのに。
そこは、ソルゴーをしばらく積んでおいて、それを牛のエサに運び出した跡と一致する。運び残した枯れたソルゴーが少しあった、ことぐらいしか、周りとの違いはない。そこに、肥料を撒いたわけではない。水ももちろんやっていない。そんなわずかの違いで、こんな日照りの中、日照りに強いと言われているソルゴーまでが、枯れる異常気象でも、それをものともせず、何もなかったように育ち続け、立派な実をつけてきている。
それは、何かを、教えてくれていると、山田さんは考えた。
「なんでかー、なんでだー」と問い続けた。
でも、山田さんの知っている常識的な知識、本に書いている理屈からは説明できなかった。みんなに聞いても、だれも、相手にすることすら、なかった。
・ イノチの仕組み・働きから整理する
その晩、山田さんの家に泊めていただき、次の日、朝、カフェをいただきながら、待ち構えていたように、「畑を先生」とする、自然基準の質問と対話が始まった。
それは、そのあと、100キロ離れたバナナ畑などを巡りながらも続き、戻ってから、また、テーブルを、親子丼の夕食をいただきながらも、とうとう、夜10時まで、延々と続く、長い長い、質問と対話。
あらゆる疑問、あらゆる課題を、ひたすら、<人間基準>からではなく、<自然基準>で観ていく、単純で、明快な、質問と対話。様々な現象を、たんじゅんな自然基準で、整理していく。
生きる仕組・働きは、イノチ、エネルギーの力。イノチ、エネルギーは、全部がつながって、働いている。
そこには、たった一つの、宇宙の法則があるだけ。単純、明快、矛盾なし。
作物が枯れるのは、エネルギーが吸引できなくなっているから。虫も、病気も、同じ原理。
作物は、微生物と一緒に、生きている。それが、エネルギーを吸引する仕組み。土が発酵していると、作物と微生物のエネルギー循環、イノチが組立られる仕組があり、腐敗になると、そのエネルギー供給の仕組みが壊わされる。
自然基準で観れば、いい悪いはない。すべて当たり前。
肥料は、人間基準の産物。肥料、とくに、チッ素は、腐敗の土にし、作物を腐敗にし、不味くする。
自然基準は、エネルギーのやり取り。イノチを奪うようなこと、イノチの仕組みに逆らえば、それは、イノチで返すしかない。それが、病気や虫の害と呼ばれていること。チッ素肥料を止めれば、虫や病気が消える。
土にエネルギーを吸引し、元気な作物を育てるのは、簡単。土の中に、微生物の種類と数を増やせばいい。
それには、土の表面近くに、空気と枯れた有機物を入れること。チッ素肥料は、それを入れると発酵の微生物を殺し、微生物層が、種類と数が減る。
そんなことをしなくても、微生物層を増やせば、自動的に、空気中のチッ素を固定する微生物が増えて、必要なチッ素を、生きた形で供給してくれる。
そんな仕組みが、元々、自然界にはある。それを、もっと効率よく、環境に用意するのが、人間の仕事。微生物の数と種類を増やす仕事。そこで大事なのは、土を掘って、土に空気を入れ、枯れた有機物を混ぜる。
それをやれば、シェラードや、砂地、固い粘土層など、砂漠でない限り、どんな土質でも、それに合った微生物が増え、それにつれて、作物が育つ。作物は、作るモノではなく、できちゃうもの。
・ 自立した若者よ、やる場は用意する
山田さんは、広大なブラジルの航空写真を見せ、この大地を緑にしたいといいながら・・・・。
「まるで、自分のために、来てくれたようだ。ちょうど、悩んでいた。それが、すっきりした。やることがはっきりした。それをやっていくための原理と仕組が整理できた」。
「やりたいことが一杯ある。数百haの砂質の土地を使わないかと言われている。そこでメロンをやりたい。ただ、農薬を使いたくない。そのやり方がわかった」。「バナナももっと広げたい。無農薬なら、需要はいくらでもある。そのヒントもわかった。まだまだ、知られていない、美味しい熱帯果樹も、植えていきたい。そのための土地は、いくらでもある。このあたりの、そして、ブラジルの不毛の原野を、どうかしたいと思って来て、半ば、あきらめかけていた。それが、まずは、自分が、出来るところから、やって見せていくことで、やる人が出てくると思った。自分は、その見本園を用意していく役割だ。」
「そのためには、市長は一期でやめる。そして、本職をやっていく。ただ、自分だけでは、動けない。若い人が欲しい。しかも、一々指示しないと動かないでは使い物にならない。失敗してもいいから、どんどん動いて、行き詰ったら、相談する。そんな積極的に動く若者がほしい。この農法を理解した人がいい。動ける場は用意する」。
それに対して、「カガミ」は、言った。
まずは、未来をはっきり決めること。目標が決まれば、それに必要なものが、必要な時に、必要なだけ、現れる。いままでも、その連続ではなかったか。未来側がぼやけてくると、今がぼけてくる。
若者も、自然基準に立った、目標が立ったら、湧いてくる。まるで、土中の微生物のように。
その例に、Mafesの話をした。ロベルト迫さんの周りに、若い方が寄ってきて、そのことで、まずます、Mafes の動きがうねってきている。しかも、そのことが、ホンの2,3年のことで起きていることを。
邪魔しているのは、自分中心、人間基準の考え。その基準がひっくり返れば、自分の思うように、世界が回り、その世界の流れに身を任せれば任せるほど、エネルギーが集まり、人が寄ってくる。
そんなことを言って、二人は、ジャナウーバを後にした。
山田さんの顔が、輝いていた。今度、訪れるときは、どんな若者たちが、動いているだろうか。どんな山田さんが、身を任せているだろうかと、楽しみになりながら。
山田さんは、ブラジルだけの人ではない。夢を実現するために、世界中の若者とつながっていく人だろう。
行き詰ったら、チャンス!!!。
「二つでひとつ」の質問と対話を、みんなと繰り返しながら。
・ 直観に基づく実践と自然基準の原理、二つで一つ
直感で実践できることと、原理から実践を整理することと、その二つが合わさって、「二つで一つ」。
山田さんのなかで、過去の経験、それと、自然基準の原理(仕組みと働き)の二つが、一つになった、この2泊3日であったのだろう。
じつは、Mafes の迫さんからは、山田さんから帰った後、三度、呼び出され、結局、迫さんと、計30時間くらい、質問と対話をさせてもらったことになるが、おそらく、それも、迫さんの経験と、自然基準の原理を、「二つで一つ」に観えるようになる。すなわち、〈ヒ〉原因・大元、と、〈ト〉現象・結果を一つで観れる<人・ヒト>になる、人間から人になるに、必要な過程ではなかろうか。
それほど、<自然基準>の「質問と対話」は、時間がかかり、時間をかける価値があるものなのかもしれない。これが、次第にあちこちに飛び火すれば、もっとそれが当たり前になり、時間がかからなくなるかもしれないが。そのときには、自己・人間の社会から、人・天然の社会への転換期にきているだろう。
ブラジルはすばらしい、日本はすばらしい、人はすばらしい、
地球はすばらしい
日本語はスバラシイ、自然基準はすばらしい
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ブラジルを離れるとき、空港まで、林さん夫妻、それに、林さんの息子さんまでが、筑波大の若者、中塚さんと島田さんの、土の塊のお土産荷物を運びついでに、送ってくださった。
しかも、ロベルト迫さん夫妻、それに、ずっと、二人の若者の土壌調査に付き添ってくれた、若いロベルチーノさんも、空港に現れて、見送りを・・・・・。
皆さん、ホントに、何から何まで、お世話いただきました。
どんなお礼の言葉も、出てきません。
お礼ができるとすれば、
自然基準の生き方、考え方は、畑を平和にし、地域や国を平和にし、地球を、人間だけでなく、動物、植物も、微生物も、みんな元気にしていくのだということを示すこと。
出来るところから、それぞれの持ち味、役割を果たしていくことでしょう。
補足、細く、太く;
補1 <エネルギーの吸呼>を保障する構造が生体
今回の筑波大学の若者の研究から学んだこと。
それは、土の団粒化とは、階層状に、大きな団粒の中に、小さな団粒がちりばめられている。きっと、その小さな団粒も、もっともっと小さな団粒が・・・あるのではなかとかということ。
土の団粒の階層性は、宇宙の階層性と同じ。大きなものも、小さなものも、生きてあるためには、それぞれの中に、イノチの循環、<エネルギーの吸呼>がある。(吸呼の反対、モノとエネルギーの流れは逆、新語)
ブラジルの中村農園では、2年間、新たなエサは供給されていないのに、作物は、入れたところと同じようにそだち、しかも、その土の団粒化が、1年でさらに進んでいた。
持続的にエネルギーを吸呼していること、それを、生きている、というならば、生き物とは、エネルギーの吸呼を、構造的に、保障している存在。
とすれば、土の団粒化とは、土の微生物相の「生体」。そこには、エネルギーの吸呼が保障されてある。
その微生物の「生体」構造が出来上がるためには、たくさんの炭素資材、エサが必要だが、その「生体」構造が、出来上がれば、あとは、わずかの、エサだけで、エネルギーの吸呼が起きる。運営される。5,4,2,6・・・・と。
都市が、構造作りと、運営の二つで一つであるように、
そして、運営は、その構成員が、それぞれ活かされる配置にあり、それぞれが、生き生きとやりたいことをやっていれば、それほど、エネルギーはいらない、ように。
(だが、しかし、イヤイヤ働いたり、学んでいる構成員を動かそうとすると、莫大なエネルギーと混乱に伴う補修エネルギー(軍隊、抑制、病院、保険)が必要になる。それが現在)
畑も、人間社会も同じ。
そんな仮説を立てられたのが、ブラジルの旅の、もう一つの成果。実証するしかないが。
有難いが、御座る
5 → 4 → 2 → 6 → 5 → 4 → 2 → 6 → 5 → 4 → 2 → 6 →・
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補足の補足;その2
科学と理学
学問も、表しか見ないものと、二つで一つとある。
片方だけを見る学問を、科学、
二つで一つ、の学問を、理学、
と呼ぶことにしよう。
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