農家は、畑の作物を自分が<作って>いる、育てていると思っています。しかし、自然の命を活かす仕組みから観ると、それに沿えば、作物は<できる>、育っている。その自然の仕組みは、「エネルギーを吸引すれば、作物はそだつ。それを放出すると、作物は病気になる」という、たった一つの法則に沿っています。
- すべて自然はうまくいっている
女 病気が出たり、つやがないのは、腐敗なのは、わかったわ。でも、その逆って、うまくいくものかしら。
男 どっちが当たり前だと思う。
女 野菜も、人間も、病気が当たり前になってきてるわね。それは、ヘン!健康なのが、当たり前。
男 虫に食われる野菜は、野菜や虫がヘンなのか?それとも、人間の頭がヘンで、自然はその通りになのか。
女 野菜も、人間も、健康なのが当たり前。人間が、自然に反した考えだから、うまく行かない?
男 人間の考えでうまく行かないなら、自然の法則に沿えば、うまくいくかもしれない。
女 それが、人間基準と自然基準ということね。自然基準なら、やってみて、確かめるしかない。
男 人間の考えは、すべて仮説。考えは、人間の数だけある。
でも、自然は、たった一つの法則、命を育む法則で動く。 - 科学も人間基準の仮説
女 その「命を育む自然の法則」って、どんな法則?
男 それは、まだわかっていない。命にかかわる、農や医、食、社会の問題は、混迷して、未だに争っている。
女 みんな人間基準で、これが良い、あれが悪いと、仮説を信じているから?でも、科学者も人間基準なの?
男 見えないものは、考えないという前提が、科学。その前提は、人間の都合。自然界には、前提はない。
女 作物ができるとか、お腹に子どもが宿って、育つとかも、見えないものは考えないのが科学。
男 真の理学は、すべての人間の考えを仮説として、自然が先生。自然に答えを求める。
女 わかったわ。科学者も人間。科学も一つの仮説。見えないものを考えるのも仮説。すべて自然が先生。
男 それが、実は当たり前。人間からものを見る、人間基準ではなく、天からものを観る、自然基準で、農も見て、考えて行こうというのが、たんじゅん農。誰でも、できる農。
女 そんなことはしたことはないから、どうしたらいいか、わからない。 - 常識の外を探検
男 そうだね。わからないこと、誰も知らないことは、(自分や他人の)仮説を立て、実験や探検をする。
女 畑の実験、畑の探検ネ、面白そう。
男 例えば、野菜や土を、こっちからでなく、あっちから見る。<反転>してみる。
女 野菜を育てていると、チョウチョが飛んできて、卵を産み、葉っぱが食べられちゃって、困るけど、・・・
男 人間基準だと、困る!<反転>すると、青虫が野菜を食べて、人間が食べないようにしてくれている!
女 エッ、<反転>って、どういうこと。常識の外に出なさいということ?空の上から見ることですか?
男 先生と生徒が、逆になる。人間が、野菜や土(自然)に教えてもらう。大人が、子どもに教えてもらう。
女 教えてもらうって、文字や言葉じゃないのね。その奥にある、自然の仕組みや働きを見つけること?
男 自然には、なにも、文字や言葉がないから、教えてもらうとき、仮説が役に立つ。
女 その仮説が、たんじゅんでは、発酵と腐敗なのね。 - 発酵のサイクルで<できちゃう>
男 発酵のサイクル(循環)で、生き物の命は日々育まれていると考える。仮説だけどね。
女 その循環が止まったり、弱まると、病気になったり、虫が寄ってくる?発酵ってナーに?
男 ある人が仮説を出した。今までにない仮説!発酵とは、見えないエネルギーを吸引すること。
女 生まれるということ、生きているということは、エネルギーを吸引しているからって、考えね。
男 二つの世界をつないでいるのが、微生物。吸引は、モノに圧をかけると、できるという仮説。
女 漬物が発酵するのは、塩と野菜を混ぜて、重石で圧をかける。それが、命を育む原理ってわけね。
男 その一つの原理だけで、自然界は、すべて成り立っている。・・・という仮説。女 その原理を、畑に応用しようというのが、たんじゅん農。それなら、すべてがうまく行くという仮説。
男 原理が理解できれば、どんなことでも、応用が利く。
女 もしも、それでうまくいかないなら、原理が間違い。うまく行けば、原理がオーケー。
男 そこで、おたずね。作物は、人間が育てて、作っているのでしょうか。
女 それは、人間基準の考え。自然基準、天から観れば、作物も、子どもも、自然の仕組みで、育っている。野菜は、<できちゃう>。子どもも、できちゃった、育っちゃった、ですね。自分も、自然の力で・・・。
男 だいぶ、理学者に近づいてきましたね。
女 まだまだ、やってみて、仮説通りにいくかどうかです。やってみましょう。
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