自然の原理と自然農法
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② 「炭素循環農法」は科学か       石垣
① たんじゅん農法の非常識な常識を読んで     おおつき けいじ
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②   「炭素循環農法」は科学か      石垣          09.7
実践者交流wikiにメンバー登録している石垣ともうします。HP立ち上げご苦労様です。
早速ですが、HPを拝見して少し気になることがありましたので、意見を述べさせていただきました。
『「炭素循環農法」は、科学です。
科学は、単純、明快、矛盾なしの原則があります。その原則にそむくものは、科学ではありません。

「炭素循環農法」を実践することは、それを科学として、検証することでもあります。』
という意見が主張されていますが、結論から申し上げて、私はこの立場には、与することができません。
確かに、炭素循環農法は、科学的妥当性に適っていますが、だからといって科学そのものではないと考えます。これが適切な表現かどうかわかりませんが、集合論に例えると、炭素循環農法は、科学的真実よりも広い真実を内包しているものだと理解しています。
そもそも、科学というのは西洋文化の所産であり、これに対して炭素循環農法は東洋的直観から生まれてきたものだと思います。この科学という奴は、一定の前提条件を設定してから事実の把握に取り掛かりますが、このため、科学的知見というのは、根本的に一定条件下でしか妥当性を持ち得ないという限界を持っているのです。これに対して、東洋的直観と言うのは、前提条件をはずして無条件、つまり無の状態で自然を観じます。ですから、科学的真実よりも、東洋的直観の方がものの実相をより根源的に受け止めることができます。私たち、日本人は、明治の初めに西洋の科学文明の威力に圧倒され、科学万能主義に陥ってしまいましたが、科学は決して万能ではありません。東洋的直観の場に立って、適宜使いこなして行くべきものなのだと私は考えます。
人類の文明史から行くと、20世紀は、西洋の時代でした。西洋文明の圧倒的な力の前に、東洋人が屈した時代でした。しかし、この西洋科学文明も幾つかの矛盾を示すようになり、いまや閉塞状況を呈するに至っています。そして、この解決策として期待されているのが、東洋の叡智なわけです。つまり、21世紀は、東洋の時代なのです。
炭素循環農法は、これを見事にやってのけました。西洋的な人間中心主義、つまり人間が作物を栽培するという思想から、自然が作物を栽培するのだという至極当然な真実を開示したのです。その炭素循環農法を捉えて、「科学的だ」といっていたのでは、あまりにもったいないというものです。
われわれ炭素循環農法実践者の使命は、この東洋的叡智を世界の農業に示し、これをリードして行くことにあるでしょう。「科学はあとからついて来い」です。さらに、これは林さんにも話して共感を得たことでありますが、炭素循環農法のもたらしたものは単に農業的な真実に留まりません。ここには、現代日本の抱える医学、教育、政治、経済などさまざまな閉塞状況を打開して行く可能性があるのです。そうした視野でこの農法を捉えるのでなければ、あまりにもったいないと私は考えます。
以上のような観点から、私は、炭素循環農法は、科学以上のものだと考えており、「科学的」ということをHP初頭からアピールするのはいかがなものかと考えます。

2010-02-27(22:51)

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