記録写真はどんどんたまったが、なかなか、それをまとめるための机につけないで、3か月。
カラカラ天気のあとの、長雨と台風に、好機到来と、急いで、そのつけを払うことにする。
・収量は半分以下 ・・・ それでも昨年よりは
6月、雨があまりなかった。その分、じゃがいもや、玉ねぎの収穫は楽だった。味は、どれも、昨年よりは良くなった。
ただ、収量は、とても、慣行農法の半分以下。
いや、それでもいい方。昨年までは、できなかったのだから。
土がふかふかになったといっても、まだ、上の10cmぐらい。
来年までには、もっとよくなり、もっと採れるかな!!
7月になって、梅雨が明けると?雨ばかりの日が続く。
うんざりするほど。
それでも、雨の合間を縫うように、じゃがいもや玉ねぎのあと、大豆や人参の畑の準備に、鍬を畑に入れる。
なんとか、畑になっていく。ベタベタにならない。
田の粘土質だから、こんなことは、昨年までは考えられない。
菌床のお陰、微生物のお陰。ほんとにありがたい。
・新しい土の畑 ・・・ やることはやってくれる
ことしからはじめた、小学校の塀のそばの4畝の畑。
子どもたちに遊んでもらいと、勝手にはじめた、新しく土を持った畑。変わり者の校長は大変喜んでくれた。
初め、納豆菌で発酵させた堆肥を撒いて、まわりに臭い問題を起こし、厳しく怒られ、そのあとも、風が吹けば、菌床がホコリで舞うと、道の向こうの食堂から苦情をもらう。
それでも、「子どもたちが喜ぶ顔」を描いて、のらりくらりの野菜育て。
ところが、学校は、その畑を校長が喜んでも、担任はそれどころではないらしい。教えることに、忙しい。
教科書と縁がない、変な畑。何が植わっているのか、見に来ることもない。関心がない。塀からのぞけば見える畑だが。
畑には、子どもの姿が全くないまま、1学期が過ぎた。
近所の人も、学校の畑じゃないの?と、聴いてくる。
今年は、急だったから、予定が立たないんでしょうと答える。
でも、かしこいもので、土も、野菜も、そんなことは関係ない。
ちゃんと、やることはやってくれる!!
学校の塀の脇に植えたトマト。10種類ぐらいある。本村さんが育てた苗をもらって、ビニールポットごと、浅く植えた。
雨が降らず、一度は茎が白くなって、枯れかけた。しかし、さすが、本村さんの苗。根を張り、勢いが出て、大きな実をつけた。
交通安全指導のオジサンが、「どれが、黒いトマトか」と、楽しみに度々見に来る。
この畑(4畝)は、廃菌床を2トン撒いた。トマト、カボチャ、スイカ、サツマ芋の苗を、植えてからは、そのまわりに、剪定枝をビッシリと敷き詰めた。
剪定枝は、今年から知り合った庭師さんが、置くところがなくて困っていたもの。とても喜んでくれた。
葉っぱだけでなく、径が3~4cmの枝もある。
葉は、根元に。枝のついたものは、サツマ芋やカボチャの畝間、通路に。
「枝でもいいんですか?」と遠慮がちにたずね、でも、それが役に立つとわかると、人のいい笑顔で、うれしそうだった。
ただ、近所のおばちゃんたちには、目の前の空地が、行き場のない廃棄物の、捨て場に使われているとしか、映らなかったみたい。
畑に剪定枝を積み上げていたら、叱られたことが、後からわかった。
そう思われるのは無理もない。剪定枝そのままだもの。農家だって理解できないことが、一般の方に、まだ、わからないのは仕方がない。実績を積み上げることだ。
それからは、山に積まないで、剪定枝が来たらすぐに、畑に広げることにする。
7月の終わりには、子どもはもういなかったが、畑は実をつけ出した。わずか、3か月前は、田んぼの空地だったところに。
こんな実験ができることは、叱られても、タダ働きでも、それ以上の喜びがある。いや、それだからこそ、楽しいのかも。
人間(自己)の側からでなく、自然(未来)の側から生きる。
「たんじゅん農法」は、だれでもできる、平和運動かな。
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