たんじゅんさん 訪問   遠藤 弘 さん(茨城県)

面白いことが起きている

まったくの素人で、8年前52歳から、農業をはじめる。ハウスピーマンの無農薬栽培を手がけ、数年は散々な目に。3年前から、たんじゅん農法を実践。これだと直感。この1・2年で、ようやく上質のものが大量にとれだした。安心・安全なものを栽培し、生計が立たなければ、やる意味がない。

遠藤 弘さん
1949年 1月 2日 生まれ
茨城県の犬吠埼に近い、神栖市で、ハウスピーマンを栽培して、8年。3年前から、たんじゅん農法で栽培。
夫婦で、15アール、1700本のピーマンのお世話。現在、61歳。ハウスのあるところは砂地。地下水位は1mぐらい。年にピーマンを2作。春先と夏に苗を植えている。

突然の転職を機に最新技術から

9年前、お父さんが突然倒れられて、その後をつぐために、今までの仕事とまったく無縁の農業、ピーマン栽培をはじめることになった。それまでは、音楽畑を歩んできたが、農業は未経験。

ここは茨城県神栖市。鹿島灘も、犬吠埼に近いところ。ピーマンの産地で、両親もそれを栽培してこられた。何も農業経験のない遠藤さんにとっては、そのお母さんの技術と知識を借りなければ、やれない。ということで、農業やるなら、ピーマンと決めた。

だが、ありきたりのことはしたくない遠藤さん。農業普及センターに勧められて、当時の先進技術の「養液土耕」を学んだ。農業普及センターに長期間通い続けて、それを始めた。畝の上に点滴チューブを伸ばし、それに、必要とする養分を水に溶かして流し与えて、作物を栽培する。金もかけた。それまでは、パイプハウスだったが、大型連棟式ハウスに建て替えた。15アール。設計は自分でやった。天井の高い、ゆったりしたハウス。農業で理想を追う遠藤さんには、ぴったりの職場がそろった。

「養液土耕」の1年目、いきなり、20トンの収量で利益が出た。さすがと思った。
だがしかし、テレビの報道番組で、農業で使用される肥料や農薬が、作物に吸収されないで、最終的に地下浸透していくこと。それが、環境を汚染していることを知った。それ以来、農業と自然環境との結びつきに目覚めた。

「養液土耕」は、次々と肥料を流す。一見、見掛けはきれいだが、環境から見れば、化学肥料の垂れ流しになっている。また、虫や病気とも無縁ではなかった。「これは間違っている」。遠藤さんは、あっさりと「養液土耕」をやめることにした。

<当たり前>の農業を目ざすが

それからは、余計なものを入れない、環境にいい、しかも、健康にもいい「農業」をめざすことにした。安全安心なピーマン栽培。いわば「無農薬ピーマン」。しかし、無農薬のピーマンは、全国どこでも市販されていない。それに、まったくの素人が挑むことになった。センチュウ対策として、土壌消毒をみんながやっている。それが普通のこの地域で、遠藤さんはのハウスは、一切それをしなかった。

有機栽培がいいとして、土壌改良の仕方を学んだ。牛糞堆肥、鶏糞堆肥、バーク堆肥、いろいろな堆肥を、毎作変えて試験栽培してみた。教えてもらう人はいなかった。一つ、一つ、やってみるしかなかった。だがしかし、その結果は、無残だった。無農薬栽培は、露地でも難しいが、ハウスでは一層、虫や病気は避けられない。

害虫対策として、天敵は、いろいろ使ってみた。しかし、アブラムシがどこかに出ると、あっという間に広がり、ハウス全体が真っ黒になったり、センチュウなど6,7種類の病害虫の防ぎようがなかった。毎年、ピーマンの実、そのものは、いい実だと、買い手から評価を得ていた。しかし、病害虫が出ると、木がやられ、それが長続きしない。

農家の収支は、とくに果菜類は、育てた苗から、どれだけたくさん実が取れるかにかかっている。
途中で、木がやられたのでは、収入が上がらず、支出の方が多い年が続いた。まわりの農家の、農薬を使っている気持ちが、イヤというほど分かった。

50歳代で農業をはじめて、非常識な挑戦をする。それが、うまくいかない。それを、周りの農家や、家族が、どんな目で見ているか、痛いほど感じた。それでも、農薬に頼る慣行栽培をやる気持ちが、遠藤さんには起きなかった。

きれい好きで、いい加減なことの嫌いな、遠藤さん。だがしかし、というか、だからこそ、だれもやっていない、ピーマンの無農薬栽培という、困難な道を、腹をくくって、歩み続けた。いろいろな微生物を購入して、片っぱしから試してみた。そのうち、徐々に、作物が観えだし、土の状態がわかるようになった。最初の4~5年は、そのために必要な時間だったのだろう。

それでも、ピーマンの木の病害虫は克服できず、赤字経営に変わりはなかった。遠藤さんは、みんなが高い価値を認め、しかも、それで自活できる仕事でなければ、わざわざ、今までの仕事を投げ捨てて、やり始めた意味がないと考えている。52歳で農業に転向して、きれい事を言い続けても、結果を出さなければ、一人前ではない、当たり前ではないと。

炭素循環農法の記事に出会う

そんな状況のとき、『現代農業』2004年10月号の林幸美さん「炭素循環農法の実際」という記事に出会った。これこそ、<求めていた農法>、<当たり前の農法>だと、直感する。

2007年から、「炭素循環農法」を始める。農業に転職して5年目。といっても、肥料なしでいけるかどうか、疑心暗鬼だった。情報も少なかった。炭素資材として、キノコの廃菌床が手に入らないので、バーク堆肥を大量に購入して、すき込んだ。 しかし、その結果は、(堆肥化したのでは、炭素率が低いため)葉は黄色く、チッソ飢餓になり、木は見るからに弱々しかった。木がおかしくなると、液「肥」を畝に流した。一年目は大失敗だった。

2年目、2008年は、シイタケの廃菌床を手に入れ、800キロ、砕いて、すき込んだ。
しかし、病害虫の問題はそれほど解決しなかった。ただ、コナジラミは少ない感じがした。
この農法への疑心暗鬼は消えなかった。液「肥」もつかった。

3年目、昨年の2009年、やはり、シイタケの廃菌床を、1トン近く入れた。
2月に定植。ケラは相変わらず、多かったが、害虫は減った。アザミウマ、アブラムシは半分以下。コナジラミはほとんどいない。

その3月と5月に、ブラジルから来られた林幸美さんが、遠藤さんのハウスを見に来てくださる。
いくつも抱えていた疑問を出すと、即座に答えが返ってくる。それは、とても有難かった。

質問するうちに、いままでの疑心暗鬼が一気に晴れた。
<なぜ無施肥栽培か>、その原理が納得できた。
やることに確信が持てるようになった。
それからは、問題が起きても、追「肥」を考えなくなった。
水分管理も、絞り加減にした。毎日水をやるということはしなくなった。

すると、ピーマンの様子が違ってきた。葉の色がよくなり、生育の勢いがいい。
根が違ってきた。N,P,Kに頼っていたころは、細い根が多く、茶色の根もあった。ところが、炭素循環農法を始めて、3年。根が真白になり、よく張り、太いのがズドンとなった。

ピーマンの木は慣行農法では、人の背より高く、わさわさと伸びるが、この農法では、腰の高さほどで、すっきりまとまっている。
節間が短くなり、それまでは、花芽がついても、全てが着果することがなかったが、咲いた花はすべて実になるようになった。
当然、収量があがってきた。

3年目のピーマン2作目でメド

6月になって、ウドンコ病が全体に発生した。しかし、それまでの年に比べて、うんと遅い発生だった。
それで、7月に1作目の木をぜんぶ引き抜いて、土に、廃菌床を、春の4倍入れて、かき混ぜた。
8月、2作目の苗を定植。15アールに、1700本。(すべて購入した苗)
それが、秋から冬にかけて、育った。

取材者が、遠藤さんの畑を最初に訪ねたのは、昨年、その2作目のピーマンが秋から冬を迎えようとしたときだった。
炭素循環農法をはじめて3年目、ピーマンをはじめて7年目の11月。

    

ハウスに入ったとたん、さわやかな気が全体に満ちていた。その気は、遠藤さんが7年間、育ててきた気であり、遠藤さんの心そのものともいえるものだろう。

ピーマンは、腰の高さぐらいで、ずらりと、並んでいた。
実は、つやのある、緑の濃い色。葉もやわらかな緑色をしていた。
ピーマンをかじってみた。肉厚で、甘い汁が口いっぱいに広がる。生でこんなにおいしいとは・・・。

これまでの栽培では、すでに、11月になると、葉の色が薄くなり、勢いがなくなっていた。
それが、一向に勢いが落ちない。
葉をいっぱいに広げて、11月の光を気持ちよさそうに受けている。
この栽培法では、木の形がすっきりしていて、光が入りやすい。慣行の栽培法のように、摘芯などの剪定作業が必要ない。下の葉だけ取っているので、管理も楽。

鈴なりの、肉厚のピーマンを見ながら、「7年目にして、ようやくメドが立った。今年は黒字になりそう」と、遠藤さんの顔はほころんでいた。
夏に入れた炭素資材は、春の4倍ぐらい。収量は、春と同じくらい、秋も取れた。
だから、「たくさん炭素を入れたら、たくさん作物が取れるというわけではなさそう」と遠藤さんはいった。

病虫害は減ったがまだまだ

葉を裏返してみると、ウドンコ病が少し出ている。
ウドンコ病の抑制のため、時に、枯草菌を葉面散布しているそうだ。
ただ、昨年までのようにひどくなることはなく、抑えられている。
でも、ハウスでは、ウドンコ病はゼロにはできないと、遠藤さんは考えている。

ハウスは、周りと遮断しているので、害虫も入らないが、天敵も入ってこない。
それで、アブラムシなどには、それの「天敵昆虫」を買ってきて、放している。
アザミウマや、コナジラミは減った。
また、ピーマンを植え替えるときの残渣は、すき込まないで、外に出している。
害を与える虫やウドン粉菌は、一度発生すると、消えないので、それを防ぐためである。

そのほかに、コナジラミに対しては、黄色のテープやトラップ、スリップスに対しては、青いトラップが効くとして、一般に使われている。
しかし、それは、ある色に虫が寄ってくる性質を利用したもの。逆に、それを使うと、虫をおびき寄せているようになる。
と、遠藤さんは考えて、それも使っていない。

雑草は、ほとんど生えなくなった。この農法に代える前は、草は生えていた。
通路にも、炭素資材は入れている。

水やりは、根に(冠水チューブで)やるよりは、葉に(霧やスプリンクラーで)やるほうがいい、と林さんから聞いた。
やってみた。確かに、霧(ミスト)をかけると、次の日、葉がピーンとなって、元気がいい。
ただ、ミストをかけるときは、ハウスを締め切る。暑い時期は、そうすると、ハウスの温度が上がり、天敵昆虫が死ぬので、簡単にはいかないそうだ。
スプリンクラーのほうが、効果があるかもしれない。

4年目、自然と人が一致して

今年、6月に、遠藤さんのハウスを、ふたたび、訪問した。
炭素循環農法4年目だ。昨年と比べて、どうかをみさせてもらった。

昨年の秋と比べても、ハウスの気が、さらに高くなっている。
1700本のピーマンの艶のある緑が、ハウス一面に均一に広がっている。
しっかりした実が、鈴なり。20畝。ほとんど生育に差がない。
病気も、虫も、ほとんど出ていない。

  

それを見て、つぎの言葉が浮かんだ。
『自然の意思と人の思いが合致したとき、自然は人に全てを与える』
(ホームページ「炭素循環農法」・概要より)

昨年よりも、ピーマンの色も、つやもよく、肉が厚い。重い。
奥さんがピーマンを焼いて持ってきてくださった。オーブントースターで、途中ひっくり繰り返しながら、12,3分焼いたもの。醤油をたっぷりかけて、口に入れる。
噛んだとたん、口に甘い汁がジューと広がり、「ピーマンたんじゅんスイーツ」!

  

「面白いことが起きているンですよ」と明るい声で遠藤さんはいう。
「アブラムシが出ると、今までは、それが畝に一気に広がり、さらに、他の畝に次々と移っていくのです。ところが、今年は、一部に出ても、そこだけに留まっている。広がらない。不思議なハウスになっています」。

昨年までは、すべての畝が、そろうことはなかった。
だが、今年は、全部の畝が、そろって、A級のいい実がなる。
端の畝から、順に、夫婦二人で収穫しているが、一畝が一日でやっと。
20畝あるので、20日かかる。まだ、全部取り終わらないうちに、最初に収穫した畝が、上に実を付けて待っている。

まさに、うれしい悲鳴。手が足らない。
それなら、だれか雇って、収穫すればいいじゃないと、考える。
しかし、今までの8年間の収支がバランス取れるまでは、二人でやれるところまでやらねばと、遠藤さんは笑う。堅実な経営者でもある。

全滅かと思ったら最高のでき

じつは、この春先、このハウスは悲惨だった。
2月10日に、1700本の苗を植えた。(苗は買った)
そのうち、4月はじめに、まともに育ったのは、100本ぐらい。
ほとんどは、葉が黄色になって、成長が止まり、苗木の時のまま。
全滅だと思った。

毎年、冬に2作目が終わると、木を引き抜き、水をやって、菌床か、堆肥を撒き、耕転していた。
ところが、昨年の冬は、水を切ったほうがいいと考えて、
水をやらずに、菌床だけを入れて、土とかき混ぜ、そのままにした。
それが、この春先の結果になった。

これは、冬の間、水を切っていたのが原因と考えて、
あわてて、水をザブザブやったら、とたんにみんな元気になって、生き返った。
ハウス全体が同じ色になった。悪い畝がない。
8年目にして、はじめてのできに。

今年も、5月に、林幸美さんが来てくださった。
昨年よりも、よくなったことを喜んでくださった。
その時も、水をやりすぎないようにと、言ってもらった。
確かに、水を絞るのは大事だ。
今年の勢いのよさは、冬に水を絞ったことが効いているのだろう。

だが、絞りすぎると、成長の阻害要因にもなりかねない。この春先のように。
ハウスの場合、水やりを、どの程度やったらいいか、切ったらいいかは、手探り。
それがうまくいかないと、もろに、収量や、病気に響いてくる。

どの程度絞るかは、現場の生産者の仕事。土質、天候、生育状況を見て、その時、その場で、判断する。それが主な仕事になる。
露地の場合は、苗が活着、あるいは、芽が出るまでは、水の問題が大きい。
が、ハウスの場合は、常に、水の問題がある。それだけに、土や、作物を観る目が大事になる。
その点、遠藤さんは、自然の意思を感じられる、すぐれた観察者なのだろう。

   

昨年秋に訪問した時、枯草菌や天敵昆虫が、このハウスでは使われていた。
今年も、アブラムシ、アザミウマ、ハダニに対する天敵昆虫を入れている。(粉ジラミはほとんどいない)
ただ、様子を見ながら使っていて、昨年よりも使う程度は少ない。
大きなアリ塚が、畝にあった。大黒アリのアリ塚で、アザミウマなどの虫を食っているという。

また、昨年は、炭素資材の使用量は、収量に関係しないようだ、といわれていた。
しかし、今年は、昨年の2倍近く、52立方メートル入れてみた。
15アールに、マイタケの廃菌床を、2トントラックで10台。
夫婦二人で入れている。これは、いかにもきつい。
炭素資材は、どのくらいが適当なのか、まだ、手探りしているところだ。
今、畑に棒を差してみると、60cmぐらいは入る。

農業経営のマジック

農業には、経営のポイントがある。
「農業収益は、生産量だけでは決まらない」。
当たり前のことだけど、単価×生産量=収益。
生産量だけでなく、単価のいいものを栽培しないと、収益は好転しない。

遠藤さんの場合、農業を始めて一年目の2003年。定植は3月20日。
「養液土耕」で、4/29~10/9の5カ月間で、20トンの収量だった。
だが、その時は、単価が低かった。

昨年2009年、農業を始めて7年。炭素循環農法3年目。
1作目2月10日定植。4/21~7/17収穫。5.7トン、
2作目8月4日定植。10/1~12/26収穫。1.9トン、 年間収量7.6トン。
収量は変わってきているが、売り上げは同じようなものという。

今年、2010年。
1作目2月4日定植。5/25~7/4 収穫。5.7トン。
苗の成長が遅かったため、初出荷は、一月遅れた。また、終わりは、木にいっぱい実がなっていたが、2作目の苗を準備するために、木を抜いた。
そのため、昨年に比べて、一月以上収穫期間は短かったが、収量は同じだった。
したがって、売上げは変わらなかった。

果菜類の中でも、ピーマンは、収穫すればするほど、節数が増える。それで、数が取れることになるが、大きな実にしようとすると、木に負担がかかる。
次の芽にいい実がなる、いい実がとれる・・・という性質がある。
だから、収穫期間が短くても、いい実がなれば、どんどん収穫ができ、そのために、さらに、いい実ができる。それを今年の収量が示している。
たんに、収量だけを見るだけでは、農業経営がうまくいっているかどうか、判断できない。単価や、育ち具合、収穫期間、経費などを総合して、収益が判断される。

これから、たんじゅん農法で農業経営していく方が増えてくる。
だがしかし、いい農産物がいかにできるようになっても、それが売れなければ、意味がない。儲からなければ、生活できないし、広まらない。
その点で、経営的に成功しはじめている遠藤さんの例は、一つの参考になるであろう。

農産物を売るとなると、生産者が値をつけるか、販売者が値をつけるかが、一つのポイントになる。
いま、遠藤さんのピーマンは、おもに、オイシックスという、こだわり農産物をネット販売で取り扱う会社と契約して、注文に応じて、日々出荷している。

遠藤さんのピーマンは、50gを基準にしていて、ふつうの30gと比べて、しっかりしている。
生産量に比べて、出荷量(=注文量)がすくないと、実がどんどん大きくなり、木に負担がかかってくる。

素人考えで行くと、業者が値段を決めて、それに生産者が従うよりも、売り手(生産者)が値段をつけて、流通業者や消費者に売っていくほうが、高く売れる。と考えがちだが、なかなか、そう簡単ではない。
生産者が値をつけて、生産者の都合で売ると、道の駅の市のように、結局は、単価が下がる。
業者に値段設定を任せたほうが、値段がいいともいえる。

そこを調整して、お互いの都合の折り合いをつけるかが、経営のマジックともいえる。
ただ、ここまで、いいものが安定してできてくると、これまでとは違って、売り方も、売り先も、いろいろ探していきたいと考えている。

そのうち、実績をあげ、たんじゅん農法の価値が、広く認められてくれば、日本独自の農業のあり方を、農業者の側から提案していけるようになるのではないか。
たんじゅん農法の未来に、遠藤さんは、そういう希望を持っている。

なかなかわからん

遠藤さんのハウスでは、土壌消毒は一切していないが、土壌病害は出ていない。
一方、多くの方は、センチュウなどに悩まされ、土壌消毒を続けている。
「土壌消毒をするから、土壌消毒が必要になるんだけど、みんな分からないね」と遠藤さんは笑っている。

遠藤さんが、これだけ成績を挙げても、この農法をやってみようとする方は、このピーマン産地ではいまのところ現れていないそうだ。
「みんながまねしないのは、無理もない。今まで、散々だったので、この1,2年良いからといっても一時的なもの。どうせまた、悪くなると、見ているのではないの」と、遠藤さん。
そうか、どうか、これからが、楽しみだ。

農業をはじめてから8年、遠藤さんは、あれ試し、これ試ししてきた。聞いても教えてくれない中で、自分でひとつひとつ、やってみるしかないと、やってきた。
そして、いま、「人生の中で、与えられた仕事はこれかなと考えている」という。
後悔は?と聞くと、「ない。いや、休みが取れなくなったことが、ちょっとあるかな」と付け加えた。

というよりも、それまでの世界とは広い世界がここにはあるという。
音楽の世界は、師事する人との狭い世界であった。
ところが、この農の世界、食の世界は、広い方とお付き合いができるのが楽しいそうだ。

遠藤さんは、この農法に手ごたえを感じつつ、次の手を考え、打とうとしている。
留まることを知らない、研究家だ。若い!!

たとえば、今使っている廃菌床は、そのうち手に入りにくくなるだろう。
いまでも廃菌床は量が限られているが、この農法でいいものができるとなると、使う人が増える。すると、一層入手困難になる。
それを見込んで、次なる「炭素資材」をいろいろ試している。

また、炭素資材をいまの使っている量に比べて、かなり少なくし、空気層をゆったりつくって、来春には・・・・と、試行しようとしている。

さらに、いずれ、種を自家採取しての栽培をする。それを繰り返し、時間をかけながら、免疫力を高めていくことが大事だろうと考えている。

いつも、向こう側から観ながら、今やることを考えていく。
それを楽しんでいる、遠藤さん。
そんな遠藤さんの生き方を、一緒に作業しながら、学んでいく・・・。
そういう若い方が、このハウスに、そのうち現れるだろう。
笑顔の遠藤さんに見送られながら、そんなことを思った。

自然の側から観れば、
必要なことは、すべて、用意される。
自然の意思と、人間の思いが合致すれば・・・。

2009.11.28 第1回訪問
2010.6.5  第2回訪問
補足
また、不思議なことが起きていると、遠藤さんから連絡。「一作目には、床にダンゴ虫がウロウロしていた。ところが、二作目の準備をしている8月末、ダンゴ虫が全然いなくなった。また、株元を走り回っていた大黒アリがほとんどいない」。畑は、どんどん進化しているようだ。
頭の中にあることは、すべて問い。過去のデータで決めつけないことだ。
答えは未来側にある。未来側には、とてつもない答えがあるのかもしれない。

つぎに、蛇足を書きました

蛇足

向こう側から観ると転換はいつ?

遠藤さんの訪問記を書いて、真夏の熱い静岡を飛び出し、地球の反対側に来て、そこは、真冬。時間も、マイナス12時間のところに来て、向こう側から観えたこと。

遠藤さんのたんじゅん農法は、今年、転換<4年目>と紹介したが、それは人間の側からの見方。
自然の側から観れば、転換<2年目>なのだと。

というのは、まだ、遠藤さんが、たんじゅん農法をやろうとしたのは、4年前であっても、それは人間の思い。
自然の仕組みを理解して、自然の意思と遠藤さんの思いが一致したときは、林さんと話をした、昨年の3月から5月であった時であれば、自然の側から観れば、転換はまだ、2年目半ばにすぎないともいえるのではないか。

転換とは、そうみると、頭が仕組みを理解したとき。自然の意思と人間の思いが一致した時に、起きるのであろう。

ブラジルに来て、第一の目的の「たんじゅん農法2年3カ月の中村さん」の農場を昨日見て、腐敗の世界と発酵の世界の明・暗を、はっきり観た。
わずか、炭素資材だけを畑に入れるだけで、こんなに、2年ちょっとで、作物が、おいしく、たくさんできるようになるのだと。
その畑の土は、鉄の棒が、<3m>入った。まいてないところは、耕しただけしかはいらない。

何年、たんじゅん農法をやっていても、それは、転換暦には入らない。

自然の力、自然の仕組み、その大きさを、実感。

自然の側から観て、そのとおりに人間がやれば、自然はすべてを与える。

その自然のすべてが、どのくらいのものか、今までは、知らずにやっていた。

一度、頭をからっぽにしてから、この農法をやっていかないと、なかなか、この農法をやっているようで、従来の農法、「脳法」をやっているにすぎない。
それでは、転換にならない。

転換は、もしかすると、ある時期の変化をいうだけではなく、
常識的な一般人は
常に、転換していくことが大事なのではと、思い知った。

それは、楽しく生きるすべ、

そして、
平和を祈ったり、核兵器を削減したりではできない、
他と仲良く、平和に生きていく、スベではなかろうか。

だって、自然は、多様で、豊かな、平和社会。
人間の頭の中が、多様性を妨げて、自然の仕組みを理解していないだけ。

そのためには、常に、
<自然が先生、新しい方が先生の、日々をやっていく>ことか。

もしかすると、それ<>を実践できたとき、転換したといえるのかもしれない。

2010.8.8