宮城は おおつき です。
・稲作についての質問がありますが、簡単に「聞こう」とする行為は、自ら「学ぶ」ことを放棄する行為と考えています。
・それで、古い方の生徒が「質問」しますので、新しい方の先生は「答えを出す」ことで「学んで」頂きたいと思います。
では、稲作について、たんじゅん流に講座を開講したいとおもいますので、参加者を募集します。
たんじゅん流:
・炭素循環農法 基礎 自然農法の理念と原理 指導者はいない(新しい者が先生)
http://tan.tobiiro.jp/kiso/genri.html#g8
・土や作物は「作る」ものではなく「できる」もの。
・バランスは「取る」ものではなく「取れる」もの、自然の側が決めます。
・ですから、人ではなく相手(自然=仕組み=法即性)が指導者(基準)です。
・土、作物、虫、微生物などや、自然農法を知らない者、新しい者(後輩)、より若い者が実際に教えてくれる先生となります。・基点(視点)の逆転により当然、上下関係も逆転。
・「自分は誰の言うことも聞かない。誰からも教わらない」
・これが本物(自然農法の本質を理解した者)の言葉です。
・だからといって、別段難しいことではなく実践すれば、伝えさえすれば、“あちら”(自然=下位者)から教えてもらえる仕組みになっています。
・もちろん、“あちら”が代価を求めることはありません。
・伝えるのも当然、無償でなければなりません(必要経費を除く)。・自然農法の先輩(実践者など)から教わることは何もありません。
・先に知った者は、それを伝えるだけで何一つ教えることが出来ないのです。
・自然農法の創始者(岡田茂吉氏)は、自然農法に指導者は「要らない」と言いましたが、正確には「出来ない」。
・指導しては「いけない」です。
・先輩からも貰えますが、それは「問い」。
・これも逆転し、何らかの「答え」を出すと、後からその「問い」が出てきます。
・人が指導しようとした途端、自然農法ではなくなります。
・人から教わろうとしたその瞬間、学ぶことを放棄したのです。
・視点=基点=教えが、自然の側(天)ではなく、人(地)=己の側(既成概念)になってしまうからです。
・故に、先導者=出題者(煽動者?^^;)はいても、指導者はいません。
・師弟関係も存在しません。あるのは無条件で子を育む、親子のような関係でしょうか。
・これも本物を見分ける重要なポイントです。
・指導者がいたら“おかしい”と断定して構いません。
・巷の自然農法の指導者然とした者の教えや、そのグループが似非自然農法になってしまうのも、自然農法自体が未だに、あまり知られていないのも同じ理由でしょう。
・人(先輩)の言葉ではない、自然農法の実践現場や生産物からは、直接教わることができます。
・栽培・飼育記録などの“生の”データは生き物の“ことば”。
・たとえ他人のデータでも貴重な自然の教えです。
・ただし人知・感情を捨て、あら探し、疑う姿勢を忘れないように。
・言うまでもありませんが作物に対する基礎的な知識(性質や生理作用、応用技術など)は、一般的農法と同じように、先輩や書籍その道の指導者などから教わることが出来ます。
・また単に、理論面だけなら既成概念同様、教えることも教えられることも可能です(このhpのように)。
————————-引用おわり——————
・「たんじゅん流・稲作講座」に参加希望者は、ks00141@g…宛に参加表明(地区名とお名前)とコメントをお願いします(笑)。 (生年月日もお知らせください。)
たんじゅん日本のグループページより引用
グループページ: http://groups.yahoo.co.jp/group/tanjun-nippon/
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