深切りソルゴと敷待ちチップ
沖縄で、今、二つの頼もしい試行が進行している。
その前に、沖縄の状況。
沖縄では、2014年の1月から、たんじゅん農の交流会がはじまり、今年2016年で、3年目。
今まで、交流会が10回近く開かれ、300名ぐらいの参加者があった。ただ、継続的な実践者は、その10分の1?
その実践者の畑を、交流会の次の日、丸一日かけて、まわるのが、恒例となり、その楽しさを味わう車が10台以上連なるようになってきている。
今回の畑巡りで、元気だったのは、宜野座の仲原さんのパパイヤと、仁禮さんの野菜。
若い仲原さんのハウスパパイヤは、3年目。病気のパパイヤ園を引き受けて、はじめ6か月は、徹底的に水を切った。パパイヤが枯れかけて、もうダメかなというときに、新しい芽が出て、復活してきた。枯れた枝は、土をかけて、土に戻した。病気もなく、無施肥で、農薬の世話にならずに、ぐんぐん、元気に育っている。一方、パパイヤ栽培歴20年というある大規模農家は、熱心に、たんじゅんの真似をしながら、いまだ、過去に縛られて、堆肥と水を絞り切れず、成果が出せないで、苦労されていた。「新しい方が先生」のいい例だ。
もう一人は、仁禮さん。本州から移住して家庭菜園を始めながら、たんじゅん農の交流会の度に、世話人に徹している。だがしかし、2年目の昨年までは、野菜を植えても、虫に食われて、自分さえ食べられなかった。ところが、今年は、彼女の足より立派な大根など、いろいろできるように。しかも、棒もしっかり入り、大根足が手でひっこぬけるようになった。みんなにふるまってくれた野菜の味はとてもよかった。新しい方の世話をすると、畑もレベルアップする。
でも、そんな話は、たんじゅんでは普通。ところが、たんじゅんでは、ふつうでない試みが、二つなされている。
一つは、沖縄の南部で、たんじゅんをやっている島袋さん。彼のモットーは、真面目な手抜き。
3年前にあったときは、元気がないトウモロコシ畑同様、生気がなかった。ところが、昨年から、トウモロコシができ始め、味がいいと評判になって、今年1月は、軽トラの荷台がトウモロコシでいっぱいになり、初めて、百姓の気分を味わったという。
その彼とトウモロコシを、元気にさせたのが、真面目な手抜きの、<深切りソルゴ>法。炭素資材の乏しい沖縄南部で、ソルゴーを育て、漉き込み、餌にしようとした。
それには、まずサブソイラーで、畑に深く切り込みを入れる。幅は1.5m、深さ7,80㎝。できれば、縦横に。そのあと、全体を、トラクターで、浅くならし、ソルゴーの種を蒔く。育ってきたら、2,3回、刈り取る。そのあと、トウモロコシを植えた。その結果、とてもいいトウモロコシができ、味も、収量もよかった。ソルゴーを植えた後と、植えないところでは、トウモロコシの出来が大きく異なる。また、サブソイラーで切ったところと、切らないところと、比べているが、断然、切ったところが、出来がいい。
サブソイラーで畑を切り、(もちろん、その切り口には何も入れていない)そのあと、トラクターで均しいただけなのに、効果が大きい。
空気が入ったからか、硬盤層が割られたからか。
熊本・和水の嶋田正之さんも、広い畑を、サブソイラーで切り、ソルゴーを育て、それを炭素資材にして、野菜を育てている。
サブソイラーで切る方法は、機械さえあれば、トレンチャーやユンボに比べれば、短時間に作業が終わり、また、土壌の移動が少ないので、新たな土が天地返しされることが少なく、効果があれば、注目に値しよう。
名付けて、<深切りソルゴ法>とでも、呼びましょうか。
もう一つの異色な試みは、<敷待ちチップ法>。
うるま市のSさんは、建設関係の仕事をやめて、本州から移住してきて、専業農家を目指している壮年。意欲的で、すでに、一町近い耕作放棄地の雑木を切り、業者に委託して、天地返しをして、2年で畑にした。天地返しのあとは、チップを10~20cmの厚さに敷き詰めて、半年以上寝かせる。チップが土になじんできたら、はじめは、ジャガイモなどを植えてみた。
そのなかで、アスパラガスが面白いと気づき、種から育って、今、全面に、アスパラガス畑になってきている。ただ、台風対策も兼ねて、地面から30cm上に、細い竹で、10cm間隔に網の棚をつくっている。チップは、一年もすると、数cm厚さに減るので、さらに、10cm程度全面に足してあった。そうすると、草も抑えられ、アスパラガスも、2年目から、収穫できそう。
チップは、かき混ぜていない。<敷待ちチップ法>と名付けよう。これは、半永年作物ともいえる、アスパラガスだから、うまくいくのか。
南部の赤嶺さんは、でも、葉菜類でやっている。
どこでも、チップを寝かせてから、やれば、上手くいくのか、
注目したいところだ。
たんじゅん農法というものがあるわけではない。
<命を育み、活かす、その宇宙の法則に委ねる>農のことを、名付けて、言ったもの。<それ>に沿えば、何でもあり。だからこそ、地球は、淡々と、豊かに進化してきたし、わがままな人間も、なんとか、地球暮らしをさせてもらってきたし、これからも、その限りにおいて、可能である。
<それ>、命を育み、活かす、宇宙の法則に委ねることを、仮に、<たんじゅん>と、呼ぶなら、これからも、末永く、人間だけでなく、みなが、楽しく、豊かに暮らそうとするなら、農に限らず、医、食、住、社会、あらゆる人間、永遠の営みを、<たんじゅん>に委ねるしか、ほかに、道はないのではなかろうか。実に、単純、明快、矛盾のない解答。その解答を提出した方には、ノーベル賞を、100個贈っても、まだ、足らない。
だが、しかし、
<それ>の中身は、人間の世では、まだ、ほとんど、知られていない。
<それ>の中身=命を育み、活かす、宇宙の法則
<それ>を、知らせる、実践が、緑、黄、赤、青の、4色の光の人たちによって、すすんでいる。
緑;<それ>の理、黄;<それ>の実践、赤;<それ>の楽しさ、青;<それ>の豊かさ
ぐるぐる、ぐるぐる、螺旋を描いて、進んでいる。
農だけでなく、様々な世界に、広がっていくのだろうか。
日本(語)を起点に。
井中 門 春風の南の島から島へ 16.2.23(満月)
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