たんじゅん農を始めて間もない方、初めて講演などとセットになった交流会等に参加してみようと思われる方などには考え方のベースとして井中門さんのこの記事などを読んでおかれると理解が早いかもしれません。現在たんじゅん農をされている多くの方はこの考え方を中心に畑や田圃に向かっておられることと思います。理解できてもできなくても、納得できてもできなくても、読んでみる価値はあると思います。少々長い記事のため、上・下に分けて連載としました。
井中門さんによれば、2年ほど前に取材を受け掲載された記事だそうです。媒体はMAMMO・TV、「考える高校生のためのサイト・マンモTV」というキャッチフレーズがあります。 Mammo.tv より、コピーして、一部改変( 著者 )
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井中 門 (たんじゅん農全国ネット世話人)
たんじゅん農(炭素循環農法)が何かと話題だ。たんじゅん農では、農薬も肥料も使わない。それでいて虫はつかず、野菜も米も味が良い。収穫量も従来の農法と変わらない。もしくは増量も可能だという。
今回登場いただく井中 門さんは大学で物理学の研究をしていたものの51歳で辞職。人が自然と調和する社会の実践を探る中で、数年前から、農業を始めた。それは、あくまで命の法則の実証という、生命の物理の研究と実践。
そこで、命の法則とは何か、その理学に込めた思いとは、を尋ねた。
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<Q>たんじゅん農では、肥料や農薬を用いず、竹などの炭素材をチップにしたものを畑に蒔くと聞いています。土を触らせてもらいましたが、特に耕したわけでもないのに、ふかふかでしかも温かく湿り気もありました。 肥料がまだ抜けきっていない土の作物の葉は虫に食われていましたが、「だんだんと抜けてきた」と指摘されていた辺りの作物はほとんど虫に食べられていませんでした。農薬も使っていないのに不思議です。
<A>肥料を使うと窒素を好むバクテリアの働きによって土が腐敗します。すると作物は病気になりやすくなります。また虫は腐敗物が好きなので、そういう土で育った作物を食べます。ですから、肥料を使った作物に虫が付くわけです。肥料が農薬を必要としていると言えます。
たんじゅん農では、土を腐敗させる肥料を使いません。腐敗ではなく発酵させます。そのために畑に木や竹などのチップを入れたり、撒いたりします。そうなると虫は寄らず、葉も食べられなくなります。おまけに野菜はエグみがなく美味しくなってきます。
<Q>なぜ発酵の働きが肥料も農薬も必要としない土壌に換えるのでしょうか?
<A>「発酵と腐敗」は、生き物が自然の中で生きる<仕組みや原理>そのものだと考えています。仮説ですけどね。現在、これだけ科学が発達しても農も医も経済も社会もいまだにうまくいっていません。それどころか混迷を深めています。それを解くカギが「発酵と腐敗」にあると思います。私はその生きる<仕組みや原理>を明らかにするための実践として農をやっています。
生き物の命の正体は、エネルギーだと考えています。エネルギーは見えません。ところが今の学問では、目に見える物質しか扱いません。だから生き物のことがわからず、混乱するのは当然です。
命は人間が作ったものではありません。自然、宇宙が用意したものです。人間基準で見てもわかりません。
中世に天動説から地動説への転換がありました。それを言い換えると、人間基準から自然基準への転換でした。その結果、科学は発達したのです。
<Q>物事を捉える基準が人間の都合から自然の側に移ったわけですね。
<A>ところが命や人間に関することは、そうした転換からも取り残され、いまだに人間基準です。
現状の命や人間に関する問題の行き詰まりは、自然基準にするチャンスと考えています。今は第2の天動説から地動説への転換期。自然基準に立って、天から命と人間の科学を解く時代です。
本当のことは、単純、明快、矛盾なしで小学生でもわかる。それが本当の科学です。
<Q>自然基準で命を考え始めたとき、土に対する理解が変わりましたか?
<A>地球の歴史を調べると、45億年前に地球が誕生し、それから7億年後、バクテリアという微生物が生まれました。次第に高度な生命体に進化して、4億年前に最も進化した微生物、キノコ菌ができたとされています。
それと同時期に、陸上植物が地球に生まれます。キノコ菌と陸上植物の発生は偶然ではありませんし、互いに助け合って生きていることがわかってきています。
また、地球の森林は何千年、何万年も育ち続けます。それは微生物層との共生の仕組みがあるからで、人間の作った肥料も農薬もいりません。その仕組みに人間が逆らうから肥料や農薬が必要になるのです。
自然の仕組み・働きを畑に応用し、コピペすれば、野菜が肥料も農薬もなしにできます。自然の仕組み・働きをコピぺした自然の法則に沿う農。それを「たんじゅん農」と呼んでいます。
野菜を育てるのではなく、多様な微生物層を畑の土に飼う。これがたんじゅん農における人間の仕事です。
<Q>実際に、どうやって微生物を飼うのですか。
<A>地中の微生物は大きく分けて二種類あります。酸素を必要とする好気性菌(発酵菌)と酸素を必要としない嫌気性菌(腐敗菌)です。
表層近くには好気性菌が、下層には嫌気性菌が住んでいます。といっても、微生物の生態は変幻自在で、詳しいことは学者も十分わかっていないようです。0.3%しか、わかっていないという微生物学者もいます。
好気性の菌の代表はキノコ菌です。これは地球の進化の中で、最後に誕生した高度な微生物です。このキノコ菌を増やせれば、土中の微生物層が豊かになります。
キノコ菌が生きるには、酸素とエサが必要です。そのエサは木、竹、枯葉、枯草などの炭素資材です。それらを細かく砕いて、浅く土と混ぜます。浅く混ぜるのは、キノコ菌に空気が必要だからです。
そうすると森の中の土のようにフカフカになり、作物ができてきます。ようは作物が地球に誕生した過程と同じような環境を用意すればいいのです。
ただ地球の歴史の変遷を再現するだけでは表面的な技術にしかならず、それは科学ではありません。だから応用もできません。
<Q>では、生命活動の仕組みを踏まえた学問とは、どういったものですか?
<A>いつでも誰でも、みんなが幸せに生きられる法則、仕組みや働きを見つけ、応用するのが学問です。
技術が発展しても野菜に虫が付く、体にガンができる、それが解決できのであれば、それは学問とは言わないでしょう。
誰かが「正しい、間違いない」としていることでも、他の人にとっては、そうではないとすれば、どうしてそうなのか。根本的に考え直す。あくまでも普遍的な真理を見つけようとするのが、本来の学問です。
生き物の命の正体は、エネルギーだといいました。このエネルギーは、見えないけれども、無限にどこにでもあるものです。エネルギーからすべての物はできたし、いまもそれは動いています。すべての始まりはエネルギーです。
そのエネルギーを吸引して、生き物は生まれ、成長し、その働きが続く間は生きています。それが止まり、放出に代わると、成長が止まり、病気になり死んでいきます。
といっても、これらは仮説です。こうした見えない世界からエネルギーをモノに吸引する仕組みは、漬物づくりと同じだと思います。ただ、現在の科学では、見えないものは、考えませんから、見えないエネルギーを考えた学問を、「科学」と区別して、「理学」ということにします。
白菜と塩を混ぜて、石で重しをするとエネルギーの詰まった漬物になります。二つの互いに性質の異なるモノを接して、圧をかけると宇宙はゼロに戻そうとして、モノにエネルギーが入ってきます。
「発酵」は、エネルギー・気をモノに吸引すること。その反対に放出することが「腐敗」です。
これが、宇宙で、命が育まれる、その仕組みと働き、命の「理学」ではないかと、仮説を立てています。
<Q>その原理を農に応用しているということですか。
<A> 畑で作物が、森で木が育つためには、土がエネルギーの吸引・発酵状態にある必要があります。
土をその状態にしているのが、キノコ菌などの発酵菌です。発酵菌が引き込んでくれたエネルギーをもらって、植物は育っているのです。
逆に土が腐敗状態になれば、作物は病気になります。病気のところには、虫が寄ってきます。「ミミズのいる畑は土がいい」と思っている人は多いのですが、この原理から見れば、土が腐敗しているからミミズがそれを分解するために寄ってきているのです。ミミズや虫は腐敗が好きで、発酵の土になればいなくなります。
<Q>命のレベルから生物の働きを考えているのですね。
<A>宇宙の法則は一つです。もちろん農以外にも適応されています。体も畑と同じで、胃腸の中には微生物がたくさん住んでいて、それが発酵状態であれば元気になります。腐敗状態であれば、病気になると考えられます。どんな病気もエネルギーを吸引できれば、よくなっていきます。体が元気なときは、体が気を吸引して、発酵状態にあるということです。気の吸引が止む(病む)と病気になります。
社会もエネルギーが入っていれば元気だし、抜けてくれば病気になります。発酵か腐敗か、エネルギーの吸引か放出か、宇宙の命の原理は一つ。とても簡単です。
でも、今の科学では、見えない世界を相手にしないので、こんな考えはありません。
これまでは、それでよかったかも知れませんが、難題が解決できないとなれば、改めて考え直してみる必要があるでしょう。過去の考えは仮説として、未来側から観る必要があります。それが「理学」です。
実は、元々みんな理学者の卵なのです。子どもたちは、よく「ナンデ? ナンデ?」と聞きますね。大人になると、その初心を忘れてしまって、目の前のことでわかったとします。もちろん実生活では、それも大事ですけれど、それではわからないことは解けません。
命とは何か。まだ明確な答え、誰しもわかるような答えを学問は出していません。たとえば、畑にまいた種が芽を出すと、「ナンデかな?」と聞いてみる。「雨が降ったから」。そうだったら「ナンデ雨が降ると芽が出るのだろう?」と問うてみる。すると、見えない命の世界がその奥で待っています。
見えない世界へのあくなき探究心は、もともと物理学を研究されていたことと関係しているかと思います。
物理を研究したかったのは、子どものころからわからないことがあったからです。
命とは何か。人間とは何か。小学生でもわかるように、本も先生もすっきりとは教えてくれませんでした。
そういうことに関心を持ったのは、子どもの頃の体験からでしょう。1941年に生まれて、4歳の時、空襲を体験しました。また、広島の原爆投下の日、投下15分前に広島駅に到着するはずの列車に乗っていましたが、どういうわけか難を避けられ、九死に一生を得ました。
そうした体験もあって、人間同士が考えの違いで、戦争をする実態を知りました。しかし、人間は違う考えをすることができる動物です。だとすれば、考えが違う限りは戦争は避けられない。
その一方で絶対に戦争はなくせると思っていました。なぜならそのほうが幸せだからです。争うために、宇宙は、人間を創ったのではないと思うからです。
その矛盾を解くには哲学や宗教ではなく、物理をやるしかない。人間とは何か。命とは何かを物理で解明したいと考えるようになりました。
大学は理学部を選んだのですが、そこでわかったのは原子や分子を研究しても、命はわからないことでした。命は細胞の中にも試験管の中にもない。
命は見えないもの。それを引き込むことで生きているし、抜けていくと病気になる。これが物理です。
でも、物理は哲学や宗教と違い、仮説と実験による検証が不可欠です。そのために何がいいかと探しているうちに、農の物理をみつけ、それでまず実験ができそうだと思ったのです。
続き、たんじゅん農の理学(下)はこちら
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