「たんじゅん・いいジャン」ML(メーリングリスト)に「掛川の山本」さんから投稿された記事を一部省略し、当HPに以下転載致しました。

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一般的に、目の前にある、自分にとって不都合なものは排除しようとするし、好都合なものはさらに増やしたいと考えます。体内にガンがあれば取ってしまえ。何か不都合でガン細胞を除去できなければ、工夫してでも除去できるように細工をしようとします。悪いとは言いませんが、何故ガンがあるのかを考えようとせず、ガンを除去しよと心を砕きます。

目がかすむといえばサプリだ、アントシアニンだと探し回る。クラスに気に入らない子供がいれば、排除したりいじめたりする。またこのクラスでいじめられるからとそこを避けて(転校などして)問題解決しようとすると、新たな環境で別の問題に苦しめられる。

全て人間基準、自分基準、感情基準であるように思えます。

たんじゅん農では野菜や畑の不都合な話の大半は微生物が関わる問題だと解明(あるいは仮説)されているので、それへの対応をどうするかと考えられる。「水を抜き空気を入れろ」となる。それは地球上に生物が定着してきた歴史からきているという。これは地球だけで考えても40億年(37億年という節も)の歴史というか、法則からの答えというか、仮説からそれが云われる。

なぜ不都合なことが目の前に現れるかを考えようとしない、あるいは敢えて目をつむる。原因に目を向けないで、手っ取り早く目の前にある問題を解決したい。場合によっては力で除去しようとする。野菜に食害が見られれば、虫に食べ尽くされる前に駆除しようと薬剤を使い始める。場合によっては虫を確認する前に、予防と称して薬剤を散布する。地球上の生物定着の歴史(宇宙の法則)から、目の前の野菜の食害を見れば、薬剤使用などは、ほんのほんの応急処置。

というのも私の仮説です(笑)。ここでは仮説ばかりです(大笑)。これが私の緑捜しでもあります。

でもここのいいところは、その意見は間違っていると糾弾されない事。たんじゅん教の人でも、言葉だけ自然基準の人でも排除されない事でしょうか。時々(この人は何か言っていることが違うな)と思う人がいると皆さん云いますが、排除はしません。昨日まで自分がそうだったから。気が付けばいいし、気が付かない場合は居心地が悪くなりいつの間にか見えなくなる。

トンチンカンなことを言ってても、当人には、今まさに必要、必然の試練の中にいるのかもしれない。自分にとっても、目の前に、人間基準でウロウロしている人がいることが、有り難い事なのかもしれない。いや自分自身がトンチンカンの当人なのかも(笑)。そういう余裕というか遊びが実に楽しいじゃないですか。

何か問題があれば、法則のどこと相反する対応をしたためかという原因を探す視点が身に付くと物事が単純に見えてくるのではなかろうか。野菜が食害にあったら、どの虫が食べたのかではなく、どの病気の影響かではなく、土の中がどうなのか、微生物は機嫌がいいのかという視点で考える癖を身につけたいものです。

そこまでの余裕がなく、オロオロする人はその時は一生懸命オロオロすればいい。オロオロしている自分に気が付いたら、次にオロオロしたくなった時、ちょっと待てよ、同じパターンだぞと気付けばいいんじゃないでしょうか。

もっともっと、緑を探す経験ができればいいかなと思います。