~2/10いいジャン会2月例会の話から~

たんじゅんとは何でしょうか。

ある人は「チップを入れるかどうかだ」というが、人間基準でなく、自然基準で考えることが「たんじゅん」ではないかと思っている。

それには、人間基準と自然基準と、どう違うのか、はっきり認識する必要がある。

例えば;「野菜の硝酸態窒素が怖い」といわれる。 これは、どちらか。
「怖い・怖くない」の判断は誰がしているのか。人間か、自然か。
こういうことをいつまで続けていくの?、ここで疑問を感じた人がこっちへやってくる。
ある人が(これは正しい)と思い込んで、大きな声で周りにそう言っている(それは仮説)。
昔は「太陽が東から登り、西に沈む」は誰でも信じていた仮説。ある人がそう云っただけ。ところが14世紀に地動説が出され、それまでの人の見方(常識)が間違っていたことが判明した。
ある人が云うから、「正しい・怖い・いい悪い」。いまだにその考え方から抜け切らない。
人間だから人間基準の見方や判断になりやすい、それは当然。しかし人がそう云う(常識だ)からではなく、自然を先生にする必要性に気付いてほしい。
ニンジンを食べるか食べないかも(子供のように)人間基準ではなく自然基準で判断するようにしたい。
たんじゅん農法もブラジルのある人が云い出した仮説。人間が云ったその人の仮説(常識)。
慣行農法もN・K・Pの3大栄養素が必要だというのも、誰か人間が云い出したその人の仮説。

自然基準とは、何を基準にした見方か。
人の云うことではなくて、そこから学ぶという意味で、「畑・作物・新しい人・何の常識にもとらわれない子供」が先生。そこを基準にしていく見方・考え方。
アブラムシは、どういうモノを食べるのか。
食べたらエネルギーが放出してしまうようなものを食べてくれている。
苦い野菜は虫が食べる。子供は甘い野菜を好んで食べる。
同じ作物を同じ畝で栽培しても、虫が食べたり食べなかったりする。
それは土の中の事情で、エネルギーを吸引している野菜と放出している野菜があるから。土の中の腐敗を作物が浄化している。そういう作物に虫が寄る。「これは虫の食べ物だ、人間の食べ物でない」と、虫が、そして自然が教えてくれている。

それが、自然基準の判断。

ところが、硝酸態チッ素のデータは人間が作ったもの。
参考にはするのはいいが、その事情を知って使わないと鵜呑みは危険。

研究者は誰しも、ある仮説を立てて、その仮説を説明する目的でデータは取られている。だから、研究は極めて人間基準で行われ、それを補完するデータが「集め」られる。(都合のいいデータを「作る」のは、データ改ざん)

自然基準の考え方は、農業が一番解りやすいと思う。自然が答えを出してくれる。自然基準の考え方を練習したくて、たんじゅん農をやっている

農で、自然基準の考え方が定着すれば、次は医療分野でたんじゅん医療をやってみたい。

料理も、人間基準と自然基準、どちらもある。
わこさんが「田舎(か)ふぇー」をやるというのですが、人間基準のお店なら、どこにでもある。それを、わざわざやるのなら、あまり賛成できない。

野菜(モノ)を届けている間は、農も、人間基準。エネルギー・気を届けるために、たんじゅん農をしたい。
エネルギーがもとで、病気になったり、ならなかったりする。物によって体が元気かどうか、決まるのではない。人間が、物が、体を病気にしているのとは違う。心臓も肺も食道も胃も腸も、人間が作っている訳ではない。体全てが自然であり、自然の法則に従って、体が病気になったりならなかったりしている。

人間基準の生活をすればするほど、不安・不信感は強まる。
人間基準の生活では、忙しくなるばかり。本も読まなくてはならない。安心感を求めての情報収集。
自然基準なら不要な情報収集を迫られたり、情報で更に混迷、混乱することもない。

野菜が本物かどうかについては、分析不要。
野菜を、子供に食べさせてみるだけ。子供は本を読まなくてもちゃんと見分ける。情報もないのに、TVを見ている訳でもないのに、子供はちゃんと見分ける。

そろそろ、人間基準の情報に踊らされずに、自然基準のモノの見方をしてみませんか。
自然基準とはどういうことか、これを普段の生活の中で考えるようにしてみませんか。それが「いいジャン会」の趣旨。

ちょっと待った!これも仮説。人間がしゃべっているのだから。油断してはいけない(笑)。