1)スギナしか生えない畑もあり、きれいすぎる、少し汚した方がいい、と言われました。
まずは畜糞を入れて多種類の雑草が生える状態にしたらどうか、とのアドバイスを受けました。
しかし、畜糞を畑に入れることにはこだわりがあって、どうしてもできないのです。
&Q1:
こだわり、それはそれで、いいではないでしょうか。
ただし、そのとおりになります。それが自然・天然の仕組みです。
自然・天然の仕組みは、あちら側から観ることでしかわからない。
こだわりは、自己の頭のなかの、過去に知った文字、言葉にしがみついていることです。
自己の世界は、過去の世界です。
未来を、過去から見る世界です。
自己の数だけ、こだわりがあります。
こだわりの「天動説」が、「地動説」に変わるのに、100年かかりました。
あまたのこだわり、「脳」生活が、向こう側から観る、「自然・天然」生活に転換する、いまの時代。
しかし、やはり、100年かかるのでしょうか。
みんな、何らかのこだわりで、自己の世界を生きているのですが、
それが当たり前になっていて、こだわりにさえ気づいていないのです。
こだわりは、過去の側、からやっていること。
いくら、やっても、「未来側から」、「自然・天然の側から」の農、生き方とは、真逆。
その違いが、わかることさえありません。
過去は、脳の中にあり、いくら自然・自然と農をやっても、「自己の世界の農法」には変わりありません。
自己とは、過去と同義語。自己の世界とは、言葉・文字の世界です。
それでは、その通りの畑に、その通りの人生になるだけではないでしょうか。
ただ、何にこだわっているか、それに気づくために、この農法があるのかもしれません。
かなりの方が、自然の仕組みを知らないで、自然のまねをしようとするこだわりを持っています。
もどきさんは、それを自然農法症候群と言っていますね。
だれのなかにも、それは多少の差はあれ、あります。
それは、命が、自然・天然の側から届けられていることを、どこかで知っているからでしょう。
それを、本能的に探し求めているのです。それが人間です。
人間だけがそれを、頭で知りたがっているのです。頭があるために。
でも、その命、自然・天然は、自己・頭・過去からは、真逆で、自己からは分かりようがないものです。
仕事、研究、人生、楽しさ、やりたいこと、・・・・健康、幸福、平和。
すべて、二つあることに頭が気がつけば、
あとは、どちらからやっているか、どちらをやるかは、ご自由にでしょう。
自然・天然の仕組みは、偉大であり、寛容です。そして、厳格です。一つしかない、例外はない。
それに反すれば、いかに思いや強い意志があっても、そうはならずに、迷路が用意され、
複雑、暗欝、矛盾だらけの 日々になる。
その通りの今になっていないでしょうか。
人間の思い・考えではなく、自然・天然の仕組み、理を知る。
自然の仕組みは、
未来側にあり、命、人間の本生を用意してくれているものでしょう。
それは、単純、明快、矛盾なし。
未来側、自然天然の側から観れば、すべて、そうなっているのではないでしょうか。
病気も、混乱・行き詰まりも、
過去、人間の脳・自己の側からではなく、未来側から観れば、
なるほど、なるほど、単純、明快、矛盾なし。
すべて、その二つの世界に気付く材料でしょう。
畑も、チップも、おがこも、こだわりも・・・。
とてもいい時代、ちょうどいい時代にに、生きている。生かされている。
有り難いことです。
ありがとうございます。
2)おが粉がどさっと運ばれてきました。どう使えばいいのでしょうか。
米糠を手に入った分だけ混ぜていますが、畑で「処理」するいい方法がありますでしょうか。
&Q2:
おがい粉は、目が細かいですか。それだと、なかなか、微生物のエサになりませんね。
たくさん入れると、むしろ、酸欠で、下の土の微生物を窒息死させ、その結果、腐敗になりかねません。
何がいいとか、悪いとかはありません。
その通りなるだけです。
いったい何をやりたいのかで、いい、悪いは逆転します。
もどきさんが、だれだれさんが、こう言った、ああ言ったでは、右往左往の日々、
自然農法症候群の拡大再生産です。
もし、自己・過去の側から、人間の脳の側から、やっていくのであれば、
その自己の数だけ、いい悪いがあります。
現在の農業は、それを示していますし、農だけでなく、すべて、そうです。
それが争い、迷い、未解決の原因でしょう。
もし、もう一つの側からやって行きたければ、
仕事を、生活を、研究を・・・・
自然の仕組みがどうなっているのか。それを知るしか、
判断、研究、生活のしようがありません。
それを、感じ取って、そこからやっていく。
たんじゅん農法は、そのための、感じ取る材料です。問いです。
その中から、自然の仕組み、自然・天然の理を、すくい取るために、畑で遊ばせてもらっているのでしょう。
だれしも、人は、ホントは、どこかで、それを探しているのではないでしょうか。
それを感じ取り、それを脳の力で、未来側の答えを厳密に整理して、
それに従って、未来側に従って、やってみることです。
自然・天然の仕組みは、
単一の、偏った微生物が住んでいる状態か、安定なのか、みんなが栄えるのか。
多様で、豊富な微生物が住んでいる状態が、安定なのか、みんなが栄えるのか。
そこから出発しないと、どうしたらいいかは、観えてこないでしょう。
これでは、答えになりませんね。Q&A ではなく、Q&Q です。(^-^)
ここに書いたものは、答えではありません。
自己の側からでは答えでしょうが(^-^)
すべて、問いです。
問いの答えは、自然・天然の側にあります。
畑に、生活の場に、答えがあります。
すべて、その通りになっています。
楽しいです。
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